ココロを込める―-。よくこのフレーズを使う人がいますし、また自分でも言ったりします。
それでは、どのようにすれば、ココロを込めると言えるのかと言うと、そのことを真に理解している人は、多くありません。あなたが理解してくれるうちの1人であることを願っています。
そもそもココロは、見えないものです。その見えないものを込めるとしても、相手が理解してくれるかどうか分かりません。相手が理解してくれないのであれば、ココロを込める意味がないのかと言えば、そういうことではないです。
相手が理解する・しないにかかわらず、すること。それが、「ココロを込める」です。
相手の理解の前にやるのが、自分自身が一生懸命取り組むことです。相手が理解するかどうかにかかわらず、今の自分自身ができることを精いっぱいする。これが、「ココロを込める」の第1段階。
なかにはできないこともあるかもしれません。相手の不興を買うことも「なきにしもあらず」です。
それでも一生懸命やっているかどうかは、分かります。「一生懸命やっているのに、できないのだから、仕方ない」と思ってもらえます。
それは、あなたのせいではありません。あなたにさせた上司や担当者の責任です。あなたがするべきなのは、自分ができることを精いっぱいやることだけです。
精いっぱいできることをやっていけば、少しずつでもうまくなります。これを続けていきます。相手が満足するくらいうまくやる。これが、「ココロを込める」の第2段階。
一生懸命取り組む。相手を満足させられるくらいうまくやる。この2つを満たして初めて、「ココロを込められる」ようになります。
ただし、順番は必ず1から2です。この逆はありません。
もし「相手を満足させられるくらいうまくやる」を先に満たしてしまうと、一生懸命やることもないので、慇懃無礼になりかねません。
「うまくやってくれるのはいいけど、ココロがまったく感じられない」という極めて無味乾燥なものになってしまいます。
一生懸命取り組んで、相手を満足させられるくらいうまくやれば、誰でもココロを込められるようになります。ココロを込めるのは、難しいことでも特別なことでもありません。
(朝の独り言☆)
今日は、後輩の結婚式でした。とても素晴らしく、感動しました。
夜には、後輩と奥様の三人で会い
色々とお話しました。いつまでも仲良くして欲しいと思います。