
よくも悪くも常識というものに従うのは、とてもラクです。また従っているから、秩序を保つことができます。それは、社会や組織の安定性を保つことにつながります。
常識というものがあって、それがきちんと機能しているのは、多くの人にとって意味のあることであり、プラスになることです。このことは、疑いようもない「真実」だと言えます。
自分に安定をもたらしたり守ってくれたりするものではありますが、その一方で自分にとって大きなマイナスに作用することもあります。それが、常識が持っているもう1つの側面です。
常識の範囲内で行動する。常識に従って、何をすればいいか考える……。
一見すると、これらには何も問題がないかのように見えますが、そんなことはありません。常識が、自分の思考と行動を制約しています。常識の外を1ミリでも飛び出ることを許さない威圧感があります。
常識に従って思考したり行動したりするのがラクなのは、きちんとした理由があります。それは、自分自身の成長を抑制してしまうからです。
常識には限界(限度)がありますが、成長は無限です。成長することを貫けば、常識を破ってしまうようなことが「ない」わけではありません。
自分自身を無限に成長させようと思えば、自由な思考、制限のない行動は不可欠です。トコトンまで成長しようとすれば、常識に抵触していきます。本気で成長しようと思えば、常識に従ってなどいられません。
常識の範囲内で思考したり行動したりするのは、成長を放棄するのと同じです。常識に従っている限り、成長できないと言っても、過言ではありません。
私は何も「すべての常識に従うな」と言っているのではないのです。最初から「すべての常識を鵜呑みにしないほうがいい」と言いたいだけです。
成長しようと思えば、常識の中のいくつかとは衝突することがあります。そのとき常識に従ってしまったら、成長が止まってしまいます。そんなもったいないことはしてほしくありません。
常識と衝突したら、それを破ればいいだけです。その先には、無限の成長があります。成長を放棄してまで従うべき常識など、この世にはありません。
(朝の独り言☆)
今日は、ロスからデニムが届きました。なかなか品切れでなく、やっと購入でき嬉しいです。やはり欲望.欲求なく人生の楽しみは、ありません。