試練は、人を成長させます。これは、疑いようのない真実です。
もっとも、この言い方は本質を突いていません。より正確に言えば、試練を乗り越えることが、人を成長させてくれます。
当たり前ですが、試練を前にして、逃げてしまったりほかの人に押しつけたりするような人は、成長しません。
試練を乗り越えた人が、成長していきます。逆に言えば、成長した人は、たくさん試練を乗り越えてきた人です。
こういう人は、目の前に安泰の道と試練の道があるとして、「どちらか好きなほうに行きなさい」と言われたら、間違いなく後者を選びます。ときには自らお金を出してでも、その道を行こうとします。
安泰の道も行けるのに、そうではないほうを選ぶのは、よほどの変わり者……。そう思う人もいそうですが、そんなことはありません。
自分を成長させたいから、試練を選ぶ――。そういう人は、多いものです。
とは言え、試練ならなんでもいいわけではありません。試練にもいいものとよくないものがあります。よくない試練は、2つあります。
1つは、カンタンに乗り越えられてしまうもの。それは、自分の実力未満のものです。片手間で対処できるようなものは、そもそも試練ですらありません。それは、トレーニングみたいなものです。
もう1つは、自分の実力をはるかに上回るもの。それは、初心者レベルの人が、上級者が苦戦することに挑戦するようなものです。ムチャを通り越して無謀で、1歩間違えば挫折しかねません。
いい試練とはどういうものかと言うと、今の実力からすると、ちょっと難しいレベルにあるものに挑むことです。そこを乗り越えるには、今よりも1段も2段も成長しなければならない――。それに挑むのが、本当の試練です。
全力を尽くすのは当たり前です。それに加えて、新たな知識・スキルを獲得したり、これまでにはない発想や考え方をしたりしていきます。
こうした取り組みをして、なんとか試練を乗り越えたとき、人は成長します。
成長する人は、試練を乗り越えています。どんなに頑張っても成長しないのであれば、それは試練と呼べるものではありません。
(朝の独り言☆)
今日は、週末セミナーの動画の確認、パワポの確認など、週末に向けてやり取りしました。参加者に満足してもらえるように、しっかり準備したく思います。