伝統というものは、歴史があるから、また長く続いているから、今も残っているのではありません。そう考えている人は、たんなる懐古主義です。

歴史がありながら、また長く続いていながらも、色あせずに輝きを失っていない――。それが、「伝統」です。

 ここで言う「輝き」とは、「今でも通用する」ことにほかなりません。つまり、今生きている人が「いいもの」だと認めているということです。

どんなに歴史があったり、長く続いていたりしていたとしても、今を生きる人が「いい」と思わなければ、輝くことはありません。それは、もはや伝統とは呼べないものです。

今を生きる人が「いい」と思わなければ、その時代で消えてしまいます。たとえば、500年の歴史を持つとしたら、500年前の人も300年前の人も100年前の人もいいと思ったから、今に至っています。

とは言え、今の人が「いい」と思わなければ、その時点で廃れてしまいます。これからも引き続き残っていくには、今を生きる人が「いい」と思って、なおかつ残そうとすることが不可欠です。

500年前の人は、その当時、「いい」と思ったから、後世に残そうとしました。そのとき次の世代の人が「いい」と思うのであれば、多少の変化はあっていいと思ったに違いありません。そうしなければ、続いていかないと知っていたから……。

300年前の人は、200年の歴史の重みを知りながら、やはりその時代に「いい」と思えるものに若干変化させていきました。同時に、次の世代の人が「いい」と思うのであれば、自分たちがそうしたように「多少の変化はあっていい」と考えたはずです。

前の時代の人が「いい」と思えるように改良しながら、今に至っているから、「伝統」として残っています。伝統の中には、創業したころと同じ姿をとどめているものはおそらく1つもありません。根本は変わらないながらも、バージョンアップ、モードチェンジを繰り返しながら、伝統を存続させています。

今を生きる人が「いい」と思わなければ、いくら歴史があったり、長く続いていたりしていたとしても、後世に残そうとは思いません。いつの時代も、今を生きる人が「いい」と思うものが伝統として残っていきます。

いいものを残していく――。突き詰めて言えば、伝統とはそういうものです。

(朝の独り言⭐︎
今日は、プラチナコーチングでした。その後も遅くまで、打ち合わせを行いました。今年は、著者10週年ということもあり、忙しく過ごしています。仕事は、大好きですから充実しています。