起死回生のウルトラC。不利な状況を覆す大作戦。「この手があったか!」と膝を叩く一手……。
こういうめったに出ない、いいアイデアは、「妙案」と言われます。
1つ言えるのは、妙案は追い込まれてから考えるものではないことです。
ピンチになったときに、人は「どうしたらいいか?」「何をしたらいいか?」と、真剣に考えようとします。
それは、考えたくてしているのではありません。背に腹は代えられないから、そうしているだけです。
当たり前ですが、追い込まれてから考えてもいいアイデアなど出てくるはずもありません。
そこでいいアイデアが出るくらいなら、そもそも追い込まれていないし、逆に順風満帆にいっています。
ガラリと状況を変えるようないいアイデアは、常日ごろから考えているからこそ、出てくるものです。
ふだんからあれこれ考えていると、追い込まれてもいいアイデアが出るし、うまくいっているときも改善策がポンポン飛び出してきます。
「どうすれば、もっとよくなる(うまくいく)だろうか?」……
うまくいく/いかないにかかわらず、常に現状よりプラスなるように考えていると出てくるもの――。それが、妙案です。
いつでもどこでもどんなときでも、今よりもほんのちょっとでもよくなるにはどうしたらいいかと考えるのは、実は多くの人がしていないことです。目の前のことに追われていて、考えているヒマがないのが実態かもしれません。
そうして近視眼的になっていると、ピンチや危機が忍び寄ってきていることに気づきにくくなります。
誰の目にも明らかなくらい表面化したときになってようやく認識して、慌てて何かを考え出します。追い込まれているから、対症療法的なことしかアタマに浮かばず、妙案が思いつきません。本当に残念なことです。
ふだんから「どうすれば、もっとよくなるだろうか?」と考えていれば、どんな状況にあっても、妙案は出てきます。妙案とは、常日ごろの思考の習慣が生み出すものです。
あなたは今日、「どうすれば、もっとよくなるだろうか?」と考えましたか。どんないいアイデアが浮かびましたか?