「カゴに乗る人、担ぐ人、そのまたワラジをつくる人」
これは、元首相・田中角栄が好んで使った言葉です。世の中にはいろいろな人がいて、それぞれが自分の持ち場で全力を尽くすことで結果的にうまく回っていることを示唆しています。
常にスポットライトを浴びるのは、カゴに乗る人です。とは言え、担いでくれる人がいなければ、そもそもカゴに乗ることもできません。さらにワラジをつくってくれる人がいなければ、カゴを担ぐこともできなくなります。
カゴに乗ろうとする人だけがいても、世の中はうまく回っていきません。目立たなくても、カゴを担ぐ人、ワラジをつくる人は、必要な存在です。
この両者は、言うなれば、縁の下の力持ち。世の中をうまく回す存在として不可欠です。もしかしたら、あなたもその1人かもしれません。
裏方的存在で、地味で献身的な人が多いのは事実です。本人は、多分に「カゴに乗るような柄ではないし、裏方のほうが合っている」と思っています。自分自身を「表に出る人ではない」と決めつけているようです。
これは、とんだ誤解です。カゴに乗るのも担ぐのもワラジをつくるのも、たんなる役割です。それは適性とは異なります。縁の下の力持ちが表に出てもいいのです。
役割は、常に変化します。あるときはカゴに乗る役割を務める。またあるときはカゴを担いだり、ワラジをつくったりする役割を果たす……。そういうことは往々に起こるし、あなたにも経験があるのではないでしょうか。
縁の下の力持ちは、ある一時期の役割。たとえそれが好きだとしても、未来永劫続けることもありません。
担ぐ人もワラジをつくる人も、カゴに乗る役割を果たすことがあります。そのときは遠慮せずに堂々と「カゴに乗る」という役割を果たしていきます。カゴを担ぐ、ワラジをつくるという役割を果たしたのと同じように……。
縁の下の力持ちは、カゴに乗る人のふるまいを下からよく見ています。
いざその役割を果たさなければならないときも、「こうやればいいんだ」と理解しているから、割合にスンナリとできてしまいます(その逆は難しいです)。
むしろカゴに乗りたがる人よりもその役割をうまく果たせたりします。