人間関係では、最初のうちは意気投合していても、慣れ親しんでいくうちに、ちょっとしたスキマ風を感じることがあります。初めに気づいたときは小さいものですが、だんだんと大きくなって、やがて修復不可能になることもあります。
お互いの間にある微妙なスキマ風……。それが、「ミゾ」です。
ミゾができるのがよくないのかと言えば、必ずしもそうとは言えません。できたことがよくない場合もあるし、できるのが仕方ない場合もあります。
プラスマイナスのどちらにも出るのが、ミゾです。「できるのがよくない」と思っている人にすれば、意外な答えかもしれません。
実は、ミゾには2つあります。そのいずれかがプラスでありマイナスであるということです。どちらにせよ、放置するのがよくないことです。
1つは、コミュニケーションのミゾ。これは、すれ違いや伝え方がよくなかったことにより起こります。多くのミゾは、こちらに該当します。
「言ったつもりだった」「言わなくても『分かる』と思った」「なんであんなことを言ったのだろう?」……
コミュニケーションが機能しなくなると、必然的にミゾができます。
どちらかが一方的に悪いということはなく、双方に原因があります。
お互いにもっと頻繁に、かつうまくコミュニケーションをしていれば、そのミゾは避けられたはずです。もしできたとしても、お互いにコミュニケーションのやり方を改善すれば、修復は可能です。
もう1つは、方向性のミゾ。こちらは、避けることができません。
お互いに成長したことによって、目指す方向性に違いが出るようになったときに生じます。
そのミゾはお互いにとって必然なので、ムリに修復しないほうがいいです。むしろ「できたことは仕方ない」と割り切って、それぞれの方向性を追求すべきです。
そうしてわだかまりなく別れたら、いずれ何かのタイミングで再び意気投合することもあるかもしれません。その日のために、ムリに修復しないほうが賢明です。
コミュニケーションのミゾ。方向性のミゾ――。
今、吹いているスキマ風がどちらなのかを把握して、修復するべきか、それともしないほうがいいか決めます。どちらにするかは、ミゾの中身次第です。