会議の設営、配布する資料の作成・コピー、飲み物や弁当の手配……。
こうした作業は、俗に「雑用」と言われています。それにいい/悪いはありません。誰かがやらなければならないことです。
こうした雑用的なことは若い人や経験が浅い人、あるいは総務とか秘書の人がするものと見なされています。だからと言って、この人たちが「しなければならい」という決まりはありません。
本来は、誰がやってもいいものです。いいえ、年齢や経験にかかわらず、誰もがやるべきことです。
それこそ社長や役員といった人たちが率先してやっていくべきです。こういう人エライたちが「やってはいけない」という決まりもありません。むしろこうした人たちが雑用をやると、副次的な効果が生まれます。
「私は忙しい。そんなことをやっているヒマはない」「そういう雑用を通じて仕事を覚えていくものだ」「そんなことをするために高い金をもらっているのではない」……
もしかしたら、こんな反論をする人もいるかもしれません。こうした言い分には、いずれも一理あります。
それでも「あえて雑用をやってみる」べきです。なぜならふだんとは異なることをするのに意味があるから。
プレゼンのセッティングや資料の作成・コピーなどはデジタル機器の技術が進歩していますから、いわゆるエライ人たちが若いころにやっていたときとは雲泥の差があります。
エラくなると、そうした技術の変化をフォローできず、「浦島太郎」になりがちです。最新の機器に触れることで、自分自身をアップデートできます。
飲み物や弁当の手配も、インターネットを使って、いくらでも安くおいしいものを取り寄せることも可能です。そうしたことも実際に手配しなければ分からないまま。
エライ人たちがする意思決定は人間力を磨くことで精度を上げていくしかないので、技術の進歩とはあまり関係がないものです。
ただし、その意思決定のもとになる会議を通じた情報収集は、日進月歩しています。
それを実感できるのが、雑用をするとき。3カ月とか半年に1回くらいエライ人たちが率先して雑用をすれば、自分自身をうまくアップデートできるようになります。