2021.4.6.

ヒントは、どこかに必ずある、、、

「そうか、ああやればいいんだ!」「なるほど、この手があったか!」「よし、これを使ってやってみよう!」……

停滞していたものごとが動き出すときには、必ずと言っていいほど、直前になんらかの「ヒント」を見つけているものです。そのヒントはなんの前触れもなく、あるとき突然、つかむことが多いようです。

たとえば、雑談をしているときに誰かの何げないひと言から触発された。顧客からの苦情の電話で、解決法がパっとひらめいた。「どうして?」「なぜ?」という子どもの素朴な疑問に答えているときに、ふと気づかされた……。

たんなる偶然のようにも見えますが、あながちそうだとも言い切れません。

なぜなら同じように誰かの話を聞いていたとしても、何も気づかない人もいるから。直接のヒントがあっても、気づく人もいれば、全然反応を示さない人もいます。

「もしかしたら、これか……」と気づいた人だけが、ヒントをつかみます。気づかない人は、どうすればいいのか、相変わらず分からないまま。

ヒントをつかめる人は、360度全方位にわたって、ものごとがうまくいくようになる何かを探しています。

現状を変えるヒントは「どこかに必ずある」と思っているので、視覚、聴覚だけではなく、五感すべてを使って見つけ出そうとしています。

反対に、気づけない人は、「どうせうまくいかないよ」「こんなことやっていても、意味ないよ」と、取り組んでいるものごと自体に懐疑的になっています。現実に背を向けようとしているので、視野もドンドン狭くなっていきます。

目の前のごく狭い範囲しか見えなくなっているので、せっかくあるヒントに気づくのも難しくなります。

手を伸ばせばあるのに、気づけない……。そういう残念な状態になってしまったのは、決して偶然ではありません。必然の成り行きです。

視覚だけで360度全方位をチェックすることは、不可能。ただし、聴覚も触覚も嗅覚も、場合によっては味覚も駆使すれば、何があるかを察知することは十分可能です。

ヒントをつかめる人は、五感を研ぎ澄ませて360度全方位にわたって何かないかと探しているし、実際に見つけ出します。

ヒントは、どこかに必ずあります。それをつかめる人と、つかめない人の差は偶然ではありません。必然によってもたらされたものです。