スポーツでは、レフリーやスターターといった第三者がプレーの開始を合図します。選手側が、勝手に自分にとってのいいタイミングでプレーをすることはありません。
入学や資格取得の試験でも、同様です。開始するタイミングは、受験者全員が同じになるように試験官が告げることになっています。
プレーする側、受験する側でスタートを決められないのは、公平性を徹底するため。やる側が自分のタイミングで始めてしまったら、有利不利が生じて、不公平になりかねません。
誰かがスタートを発するとしたら、プレーする側、受験する側はそのタイミングに自分のコンディションやモチベーションを合わせなければなりません。それがうまくできないようだと、結果に大きく影響してしてきます。
自分のタイミングで始められないのは、公平性を担保するために仕方がないとは言え、なかなかやっかいなことです。それゆえにいいパフォーマンスができない人がいるとすれば、同情を禁じ得ません。
人生は、違います。いつでもどこでもどんなときでも自分のタイミングで始められます。多くの人が見逃していますが、始めるだけでなく、終わるのも自分次第。
何をするのも自由で、誰かに言われたとおりにする必要はまったくありません。やること、やらないことは自分自身が自由に決められます。その1つ1つのやるべきことについては、自分のタイミングで始められるし、終えられます。
集団で連携して行うことがあったとしても、違和感があれば、止めることもやり直すこともできます。自分のタイミングで始められない、反対に終わらせられないことなど1つもありません。
自分のタイミングで始めるのは、ゴーサインを勝手に出してもいいということ。自分のコンディションとモチベーションがいい具合に重なり合ったときに、「よし、今だ」と始めていきます。
始めるタイミングを何か、あるいは誰かに合わせるという面倒で神経質なことに煩わされることもなくなるので、必然的にいいパフォーマンスを出すことに集中できます。
とは言え、ズルズルと引き延ばすのは禁物。なかなか始めようとしないのであれば、時間をムダにしているのと同じ。自分でゴーサインを出す以上、それ相応の責任と、いいパフォーマンスをする義務を負うことになります。
(朝の独り言⭐️)
連日、細木数子さんや瀬戸内寂聴さんが亡くなり、時代がどんどん変わっていくのを感じます。細木さんは、平成のテレビの時代において本当に勢いあった人だと思いますし、占い本ではギネス記録らしいです。
テレビの時代からYouTube、Netflixなどに変わるなど、色々とこれからの時代の変化が楽しみです。