お茶を飲んだら、茶柱が立っていた。それを見て、多くの人は「ラッキー。何かいいことがありそう!」と思うに違いありません。
その何時間後かにお茶を飲んだとして、次も茶柱が立っているかと言うと、その可能性は極めて低いです。めったに起こらないことだからこそ、「ラッキー」と思うものです。
とは言え、茶柱を続けて立てるのは、不可能ではありません。そうなるようなお茶の淹れ方を身につければ可能です。
多くの人はそこまでやらないから、茶柱が立つかどうかという偶然性に身を委ねながら、お茶を飲むことになります(日常生活を送るには、それで十分です)。
世の中には、「ラッキー」なことがたくさんあって、毎日どこかで起こっています。おそらく今この瞬間にも……。ただし、そのラッキーが同じ人に続けて起こるのは、まれ。茶柱が立つお茶を続けて飲めないのと、同じです。
ラッキーとは、再現性がないもの。たまたま起こるのが、ラッキーです。それゆえに自分が遭遇したときに「続けて起こる」ことを期待するのは、欲張りすぎです。
あなた自身にラッキーな出来事があったとしたら、喜ばしいことです。本当はそれで十分。ほんのいっときでも「いい気分」「ハッピー」になれたのですから、それ以上を求めるのは、得策ではありません。
もし続けて起こることを期待するのだとしたら、それこそ茶柱が立つお茶の淹れ方を研究して実践するようなものです。
そこまでするのであれば、続けて起こることを期待してもいいですが、それだけやっても、十分な見返りがあるかどうかは、また別の話です。
ラッキーとは、一瞬の僥倖。そうであれば、こう考えるべきです。「自分にラッキーなことが起こったのだから、今度は誰だろう?」というふうに……。
ラッキーとは、天下の回りもの。誰のものでもないし、あえて言えば、みんなのもの。だからこそ再現性がないし、「いつでもどこでもどんなときでも起こる」と言えます。
こう言うと、続けて起こることを「欲張り」と指摘した意味も理解してもらえるはずです。あなたが続けて起こることを求めたら、ほかの誰かが遭遇するのを阻んでしまうことになります。それは、ほかの人のラッキーを奪ってしまうこと。
続けて起こらない――。それが、ラッキー。1度起こったとしても、それが最後ではありません。天下の回りものですから、必ずまたやって来てくれます。
(朝の独り言☆)
いよいよ来月から書籍作りが本格化します。同時進行の時もありますので、体調管理はしっかり整えたく思います。やはり充実した仕事をするには、健康管理とストレスマネジメントが大切です。そこがしっかりできていれば、やる気もみなぎってきますし、脳もフル回転します。
今年から 電子書籍も精力的に取り組んでいきますので、色々なテーマを皆様に提供できると思います。楽しみにしていてください。本の企画でしたいことが山のようにありますが、バランスを考えながら進めていきたく思います。