2022.4.7.

見てくれなど気にしない、、、

「あの人はスゴイ」「やっぱりカッコイイなぁ」「あんなふうになりたいなぁ」……

結果を出している人は、このように他者から羨望の眼差しで見られがちです。出した結果そのものがスゴイとしても、その人自身がカッコイイわけではありません。ここは、誤解しないでもらいたいところです。

結果を出した人に憧れたり敬意を表したりするのは、自由です。おそらく「カッコイイ」なんて言われると、本人はこそばゆく感じます。確かに華やかに見えることはありますが、結果を出すことと「見てくれ」は、一切関係がありません。

結果を出している人は、そこまでのプロセスがいかに大変であるかを熟知しています。見てくれを気にする余裕は皆無。それは、結果を出していない人には想像が及ばないところです。

出した結果と、そこまでに取り組んできたこと。前者には華やかさがありますが、後者にはまったくありません。結果を出すことは泥くさく地味なものです。

毎日毎日やるべきことを数多く、淡々とやっていきます。しかも同じことの繰り返し。取り組んでいることを写真や動画に収めたとしても、派手なところは一切ナシ。

逆に言うと、結果を出せずにいるから、「カッコイイ!」なんて思ってしまうということ。1度でも結果を出したことがあるなら、相手に敬意を表することはあっても、むやみに「カッコイイ」なんて思わないものです。

結果を出せない人は、なぜかうまくいっている人は「華やかできらびやかなことをたくさんしている」という先入観を持っています。そのため結果を出すために、「泥くさく地味なことをたくさんしなければならない」と言われると、ショックを受けます。

「こんなことをしても結果を出せるはずがない」と憤慨するのですが、分かっていないのは本人だけ。結果を出すまでの取り組みが泥くさく地味なものだと知らないのですから……。

結果を出したいのであれば、見てくれがいいことをする必要はまったくありません。そうしたことは、結果を出すにあたって妨げにもなり得ます。泥くさく地味なことを淡々とやっていけばいいし、それが唯一のアプローチです。

見てくれを気にしているようでは、結果を出すことなど夢のまた夢。結果を出すことにおいて、見てくれなど「なんの価値もない」と言っていいくらいです。

(朝の独り言☆)
朝の朝礼でスタッフに、ニュースなどで分からない言葉を調べていますか。という話をしました。「デフォルト」の意味は、なぜ問題なのか、どのような影響が自分たちにあるのか、など。常に、分からないことがあるときには 調べる習慣を持つことが、教養を身につける一歩です。私の朝の朝礼は、そんな人間教育が中心です。