スポーツでは、ダイビングキャッチやオーバーヘッドシュートのような、めったに見られないプレーが出ると、「ファインプレーだ!」と、観客が大喝采します。
いつ見られるかは、完全に予測不能。そもそもファインプレーは狙ってできるものではありません。見るほうにすれば、「トクをした」気分にもなります。ファインプレーは、スポーツの「花形」と言ってもいいくらいです。
ここまで言っておいてなんですが、ファインプレーは見るほうもやるほうも求めるものではありません。それを追求することはスポーツの醍醐味ではないし、やるほうにしても技術力の向上を妨げかねないものです。
ファインプレーは、「イチかバチかやってみたら、うまくいった」というバクチの要素が強すぎます。たまたまうまくいったから、ファインプレーになっただけのこと。逆にうまくいかなかったら、「何やってんだ!」と罵声を浴びることになります。
見るほうが求めるのは、選手に「イチかバチか」を強いること。やるほうが求めるのは、自らスタンドプレーに走ること。双方にとって、いいことにはなりません。
こういう論理を展開していくと、「ファインプレーをしなくていい」ように聞こえそうですが、それもまた違います。ファインプレーそのものではなく、もっと「ほかのことを追求すべきだ」と言いたいだけです。
それは、「難易度の高いプレーをさりげなくやる」こと。ファインプレーが誰にでもできるようなカンタンなものではないことは、確かです。
そうであるならば、ファインプレーを追求するのではなく、難易度の高いプレーをさりげなくやれるほうにシフトチェンジすべきです。そのために、ちょっとやそっとではできない、難易度の高いプレーを練習でたくさんやっていきます。
練習だからと言って「必ずできる」とは限りません。それでもたくさんこなしていくうちに、少しずつできるようになります。その再現性が高くなると、試合でも難易度の高いプレーを当たり前のようにこなせるようになっていきます。
おそらくそれは、ファインプレーには見えません。観客には「誰でもできるプレー」に見えますが、それこそ技術力が向上した証です。追求すべきは、ここです。
ファインプレーは、決して狙うものではありません。難易度の高いプレーをさりげなくこなすのが、プロフェッショナル。それは、ビジネスパーソンにも言えます。
(朝の独り言☆)
ある本の帯に、「失敗をしゃぶり尽くした人だけが、正解にたどり着ける」と書いてありました。
かなり前にトニー・ブザンが提唱するマインドマップのセミナーに参加した時も、「人生なんて実験みたいなもの、失敗したら改善して前に進めばよい話」と言っていたのを思い出します。
日本の文化には 失敗しない人が優秀なイメージがありますが、失敗を検証し、前に進む成果に繋げることが出来る人が、今の時代に求められていると思います。勇気を出して、まずは行動することが大切です。