迷惑は「かける」より「かけない」ほうがいいに決まっています。実際にかけてしまうと、想定しているより多くの人に余計な手間をかけさせることになります(ここで言う迷惑は、ゴミのポイ捨てや騒音などの常識に反するものを除きます)。
確かに迷惑は「かけない」ほうがいいですが、「ゼロ」にするのは難しいものです。かけるのが避けられないとしたら、蒸すかしいかもしれませんが、周りに何かをしてもらうことを必要最小限にとどめるようにします。
迷惑を「かけたくない」と思っていると、自分自身でなんでもやろうとします。自分さえ頑張れば、「なんとかなる」と思って、必要以上にものごとを抱え込みがちです。「これを頼むと迷惑かな」「いっぱいいっぱいだから、誰かに代わってほしいな」……
そういう本音を隠して、アップアップの状態なのにムリして続けます。それが功を奏することはなくて、遅かれ早かれ、破綻します。
それは、どうにもならなくなって、そのトバッチリが周りの人にいってしまうこと。自分がうまくハンドリングできなかったせいでほかの人に本来はする必要のなかった行動をさせてしまい、「かけたくない」のに、結果として迷惑をかけてしまいます。
かけられるほうにすれば、それは不意打ちに等しいです。いきなりトバッチリを受けてビックリしたり、怒ったりする人もいるかもしれません。
とは言え、迷惑をかけた人が1人でやるより、かけられたほうの数人が協力すれば、その後の処理は早く済みます。案外、周りに与えるダメージは少ないものです。
だからと言って、「迷惑をかけていい」と容認するつもりはありません。言いたいのは、「迷惑をかけそうなら最初から周りに協力を申し出たほうがいい」ということ。
あとで「迷惑をかけられる」よりは最初に「協力をする」ほうが、相手にとっても負担が少なく済みます。そのほうがトバッチリを受けるより、はるかにマシです。
「迷惑をかける」からと1人で抱え込んでしまうと、結果的に周りにダメージを与えてしまいます。「迷惑をかけたくない」と思うからこそ、協力してもらうべきです。
念のために言うと、それは「図々しい」ことではありません。そのほうが、相手にとっても、また本人にとっても、いい結果になるものです。
「迷惑をかけたくない」と思っている人ほど、相手に負担をかけてしまう……。これは、逆説的な真実です。
(朝の独り言)
今日の帯広は、昨日大雨から一転、快晴の真夏の気候です。
Starbucksで、桃のフラペチーノが発売ということで、学生気分のようにデスクワークをしてみました
このような時間の使い方、学生時代にStarbucksはもちろんありませんでしたが、今はそこで学生が勉強していました。確かに、自宅より気分転換にもなり良いこともあるのかもしれませんね!