買ってきた食材を煮たり焼いたり蒸したりして、調理する。スーパーのお惣菜を買ってくる、あるいは冷凍食品をレンジで温める。出前を頼む。
買ってきた惣菜、出前で頼んだものをお皿に盛っても、それは料理です。ただ自分自身でつくっていないだけのこと。自分でつくっていないからと言って、ラクをしたということでもないです。
もしかしたら買ったもののほうが、自分でつくるより「おいしい」可能性は、十分にあり得ます。プロがつくっているのですから、ある意味で当たり前です。
自分自身でつくることができるのなら、やはりそのほうがいいです。自分好みの味つけができるし、食材も自由に選べます。やっていくうちに、レパートリーが増えます。何より腕が上がります。
買ってきた(頼んだ)料理と、自分自身でつくった料理――。どちらがいい、どちらがおいしいということではありません。
どちらも料理。家で食べるのであれば、そのときどきで選べはいいだけのことです。疲れてつくる気力もないときは、買って帰ればいいし、時間がたっぷりあるのなら、腕をふるってもいいかもしれません。
1つだけ言えるとすれば、自分でつくらない限り、料理の腕が上がらないこと。買ってきたものを食べ続けて上がるものがあるとすれば、お皿に盛りつける技術です。
何かを上達させようと思うのであれば、1つ1つ積み上げていくしかありません。料理の腕を上げたいのなら、3食とは言わなくても毎日、自分自身でつくること。
自分で料理をつくるのは、地味なものです。それでもどういう気持ちでつくるかによって、味に差が出てきます。
適当につくったら、可もなく不可もなしの味になります。下ごしらえから丁寧に、素材の味を引き出せるように、真剣に取り組めば、おいしい料理ができます。
もっとも、一朝一夕とはいかず、試行錯誤、苦心惨憺の末。毎日取り組んで、料理に関する知識・スキル・経験を1つ1つ積み上げていった結果、おいしく調理できるようになります。
どんなことも1つ1つ積み上げていくことで上達するし、力がついていくものです。積み上げれば積み上げるほどほど、いつしかその力は本物になります。積み上げないで力をつけようとするのは、買ってきた惣菜をお皿に盛りつけるようなものです。
(朝の独り言)
最近は、世界トップクラスのセミナーを学ぶと、分かっていながら 安定領域で生きていることへの反省をしたりしています。やはり生きている意味は、常に新しいことへの挑戦と成長であると思います。もちろん現在ある大切なことを深掘りすることを、忘れてはいけません。本当にエネルギーがいつまでも尽きない自分にも我ながら驚いています。