「ラクをしたいなぁ」「ラクになりたいなぁ」……
仕事をたくさん抱えて、しかも責任も重くなってきたときに、こんなふうに思うとしたら、少々気がかりです。今のあなたがまさにそんな心境にあるのかもしれません。
そう思うのは「好ましくない」と、キッパリ言えます。自覚はないかもしれませんが、それは自分で自分のクビを絞めることです。
「ラクをする」は自分自身が力をセーブしながら、万事うまくいくようにすることです。ハッキリ言うと、手抜き。それ自体が、目的になっています。
ラクをしてうまくいくことがあるとしたら、それは誰かにしわ寄せがいっている証拠。自分自身が力をセーブした分、ほかの人が苦しんだりつらくなったりしています。
これを目的にするようになったら、「人間として終わっている」と言ってもいいくらいです。ラクをした人は、1ミリも成長しません。
もう1つの「ラクになる」は、あくまでも結果です。こちらは、いろいろやり繰りをした挙句、うまくいくようになったし、なおかつ苦しい思いやつらい思いをしなくなったということ。
ラクになるまでには、プロセスの見直しをしたり試行錯誤をしたりといった「負荷」もかかっているので、それなりの成長もしています。ゆえに一概に否定すべきものではありません。
もっとも、「ラクになる」が常態化するのは、問題です。なぜなら成長しなくなるから。1度ラクを覚えてしまうと、新しいことや難しいことにチャレンジしなくなってしまうのが、人間の性です。
ずっとラクになっていると、ぬるま湯につかったまま。お湯の温度が下がってくると、カラダが冷えてきて風邪をひきかねません。それは、「ラクになる」ことを続けた代償と言えます。
「ラクをする」と「ラクになる」は、似て非なるものです。前者は、論外。後者も、一時的なもの。結局のところ、どちらも追求し続けるものではありません。
もし今のあなたが仕事をたくさん抱えて責任も重くなって、つらく苦しいとしたら、一時的に「ラクになる」のを追求するのはアリです。ただし、ラクになったら、再び自分自身に負荷をかけていきます。
そうして成長を続けていって、人間の持つ性から逃れていくのが、人間として好ましい姿です。
(朝の独り言☆)
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