人は本来、誰もが「余人をもって代えがたい人」です。あなたも、隣のあの人も、周りにいるすべての人も……。
「代わりなんていくらでもいるよ……」
そんなふうにうそぶく人は、たくさんいます。あなたもその言葉を聞いたことがあるかもしれません。
なんともイヤな言葉です。絶対に言いたくないし、言われたら断固として抗議したくなります。
確かにあなたがやっていることは、はかの誰かもできること。その意味では、「代わり」はいます。
とは言え、「代わりはいくらでもいる」と言う人は、気づいていません。あなたと同じようにできる人がまったくいないことを……。
あなたと同じスピード、同じクオリティー、同じクオンティティーでできる人がどれだけいるでしょうか。ましてやあなた以上のスピード、クオリティー、クオンティティーでできる人が……。
「もしいるとしたら、目の前に連れてきてください」
そう言ったとしても、失言にはなりません。
まったく同じことを代わりの人がやっても、スピード、クオリティー、クオンティティーのすべてにおいて、あなたに劣ります。違いは、一目瞭然。
「代わりはいくらでもいる」と言う人は、その重大な事実に目をつぶっています。あるいは本当に違いが分からないのかもしれません。
あなたがスピード、クオリティー、クオンティティーのすべてにおいて誰よりも勝っているのは、常に真剣に取り組んでいるから。
誰よりも熱心に、かつ集中して取り組み、トコトン研究して、持っている力をすべて出しています。そのうえさらにその力を高めようとしています。そんな人がほかにいるでしょうか。あなた以外に……。
このことは、すべての人に共通して言えます。どんなことをするのであれ、集中し全力で取り組んでいる限り、誰もが余人をもって代えがたい人になっています。ずっとそういう人でいることは、可能です。
ただし、力を出し惜しみしたり、いい加減にやっていたりすれば、行き着く先は決まっています。もちろん、代わりがいくらでもいる人です。