2019.11.6.

「充実していた」と言って、1日を終える、、、

「今日のあなた」
そんなタイトルで自分自身の一挙手一投足を撮影された動画があったとします。と言っても、ドッキリでも隠し撮りでもありません。今日のあなたの行動すべてを余すところなく収めたものです。

そこには、朝起きたときから夜眠りに就くまでの、自分自身の1日が映っています。仕事に精を出している人もいれば、買い物や観劇に出かけた人もいるかもしれません。

資格取得の勉強に励んでいる人もいそうです。その動画を見て、あなたはどんなことを思うでしょうか。
「なかなかよく頑張っているじゃないか。エライぞ、自分
「わぁー、生産的なことは何もしていないな。さすがに恥ずかしいな」……

どんな1日の過ごし方をするのかは、その人の自由。それについて、他人がとやかく言う筋合いはありません。

充実した時間を過ごした人もいれば、そうでない人もいます。もっとも、それは仕事や勉強をしていたから充実していて、買い物や趣味に時間を使っていたから充実していないということではありません。

充実していたか充実していないかの違いが出てしまうのには、理由があります。それは、やっていることそのものによるのではありません。自分自身がどれだけ集中して楽しんでいたかによります。

仕事や勉強をしていたからと言って、集中もせずに、また楽しんでもいなければ、何時間やったとしても、充実することはありません。たとえ10時間やったとしても、無為に過ごしただけです。やらないよりはやったほうがマシという程度です。

本人は「10時間もやった。充実していたな」と思ったとしても、それは錯覚。長くやったから「充実していた」とカン違いしているにすぎません。

反対に、買い物や観劇を10時間したとしても、それに集中して、なおかつ楽しんでいれば、充実した時間を過ごしたと言ってもいいです。仕事や勉強に比べて、「遊んでいた」とか「ムダだ」ということは言えません。

どんなふうに1日を過ごしてしても、その終わりには「充実していた」と感じていたいものです。それは、自分自身がどういうふうに取り組むかによって決まっていきます。