ヒト・モノ・カネ・情報――。この4つを持っているのが、人生がうまくいっている人です。2つか3つ持つだけでもうまくいくことはありますが、継続性に欠けます。やはりヒト・モノ・カネ・情報のすべてを持っているほうが強いです。
この4つは頻繁に出たり入ったりしますが、人生がうまくいっている人は、あえてそうしています。出るだけ、または入るだけがよくないと知っているから……。
出る一方では、ヒト・モノ・カネ・情報が蓄積されていきません。これでは自分自身に残るものがないので、成長するのが難しくなります。
入る一方では、ヒト・モノ・カネ・情報が古いものから順に陳腐化してしまいます。それでは行動の正確性に欠けてしまいますから、こちらも成長しなくなっていきます。
出るだけではダメ。入るだけでも不十分。出たり入ったりする新陳代謝があるから、成長していきます。
「出る」と「入る」のどちらを優先すればいいのかと言うと、前者です。まずは自分が持っているものを惜しみなく放出していきます。
自分自身の周りに集まってきたヒトは「去る者は追わず」で、新天地に送り出します。身の回りにあるモノは役に立ちそうな人にあげたり、持っているカネは自己投資したりしていきます。
得た情報は自分で実践するか、必要な人に積極的に知らせるようにします。
こうして積極的に出していくと、サケが産まれた川に戻ってくるように還流してきます。
出る一方ではなく、新しく入ってくるようになります。
1度離れた人が成長して戻ってくることもあれば、新たな人材を紹介してくれることもあります。
過去に役立つモノをもらった人が、最新バージョンを融通してくれたり、自己投資したカネが何倍にもなって稼ぎとして入ってきたりします。情報を提供した人が、世の中のどこにも出回っていない極秘ネタをコッソリ教えてくれたりもします。
こうして出たり入ったりが頻繁に行われると、上質なヒト・モノ・カネ・情報だけが自分の中に残るようになります。それは、自分の器が大きくなったということ。
ヒト・モノ・カネ・情報は独占するものではなく、出したり入ったりを自由にしておくものです。出すから、新しく入ってきます。入るから、自然と出るようになります。
人生がうまくいっている人は、ヒト・モノ・カネ・情報をオープンにして出入り自由にしています。このことは、多くの人が知らないでいることです。
(朝の独り言☆)
「日本資本主義の父」渋沢栄一氏は、終生『論語』を手放さなかったそうです。
子曰く、その以す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや。人焉んぞ廋さんや。
孔子の人物観察法は、視・観・察の3つをもって人を鑑別するところに特徴がある。
第1に、その人の外見に現れた行為の善悪正邪を視る。第2に、その行為の動機を観極め、第3に、その人の行為の落ち着くところはどこか、その人は何に満足して生きているかを察知する。そうすれば、必ずその人の真の性質が明らかになる。
外面に現れた行為が正しく見えても、その行為の動機が正しくなければ、その人は正しい人物とはいえない。また、外面に現れた行為も正しく、その動機も精神もまた正しいからといって、もしその安んじるところが飽食・暖衣・気楽に暮らすというのでは、その人は誘惑によっては意外な悪をなすこともあるだろう。
まさにそうですね。論語から学ぶことは多くあります。