ものごとはなんでもそうですが、続けていくから「見えてくる」ことがあります。続けなければ、何1つ見えるものはありません。
その見えてくることとは、たとえば適性。何かを始めて、1回や2回やったところでうまくいくことはまずありません。
その時点で自分には「向いていない」「合わない」なんて判断してやめてしまったら、とてももったいないことです。もしかしたら、本当は適性があるかもしれないことなのに……。
10回、20回やってうまくいかなかったとしても、まだ適性のある/なしの判断はつきません。
100回、200回、いいえ、1000回、2000回くらいやって、うまくいかなかったとしたら、ようやく自分には「向いていない」「合わない」という判断がつくものです。そこまでやって「やめる」という判断を下せば、合理的です。
もっとも1000回、2000回もやっていくと、たとえうまくいかないことが続いたとしても、別の感情が湧いてきます。それは、「愛着」です。
始めたときに「やりたい」とか「面白そう」と思わず、なんとなくやってみたとしても、100回、200回を通り越して、1000回も2000回もやるようになったとしたら、愛着がある証拠です。
うまくいかないとしても、「もっとやりたい」「面白い」と思っています。
そういう気持ちになっているから、うまくいかなくても、続けられます。うまくいかないなりに、面白さに気づいたということです。それは、そのものごとが持つ「本質」に気づいたということ。
1000回も2000回もやってうまくいかないのですから、本人も「適性がない」ことには気づいています。とは言え、「適性がないから、やめなければならない」という道理もありません。
この人は、そのものごとの本質を理解しています。もしかしたら、適性がある人以上に理解しているかもしれません。
その本質をもっともっと知るために、この人はこれからもそのものごとを続けるはずです。たてえうまくいかなくても……。
続けることで、見えてくるものがあります。それが何かは、人によって異なります。