2020.10.22.

アタマで考えすぎない、、、

考えるという行為がどこでなされるかと言うと、もちろん、アタマです。さまざまな知識情報が蓄積されたアタマできちんと考えることで、適切な判断が導かれます。
 そのアタマで考えたことが常に最適なのかと言うと、残念ながらそうではありません。最適な判断がくだされる場合もあるし、反対に最悪な事態を引き起こすこともあります。どちらのほうが多いのかは、なんとも言えないところです。
 どんなに詳細で確実な知識情報を得ても、間違った判断を下すことはあり得ることです。なぜそんなことが起きるのかと言うと、「アタマで考えすぎてしまう」からです。
 こう言うと、疑問に思う人がたくさんいそうです。念のために言うと、アタマで考えることがよくないのではありません。アタマだけでなく、ほかのところでも考えたほうが、最適な判断を導きやすいと言いたいだけです。
 確かに考えるのは、アタマです。もっともアタマには、知識情報があふれすぎて、弊害があるのも事実。
たとえば、無数にある知識情報を比較検討してしまう。ソントクや見栄、便利さ、カッコよさといったことで条件づけして、短絡的な判断に傾いてしまう……。そうしたことは、少なくありません。
あれこれ考えているうちに堂々巡りをしたり脱線したりして、まとまらなくなってしまう。
また膨大な知識情報に振り回されて、どれにすべきなのか判断がつかなくなってしまうことも「なきにしもあらず」です。
アタマだけで考えようとすると、悲しいかな、袋小路に陥りがちです。
それでは、ほかにどこで考えればいいのかと言うと、「ハラ」です。アタマのみならずハラでも考えていくと、短絡的な判断を下してしまうのを未然に防ぐことができます。
ハラには、知識情報が蓄積されていません。その代わり、大義や使命、あるいは覚悟といったものがあります。
ソントクや見栄、便利さ、カッコよさといったものとは無縁で、長期的に考える土壌があります。条件に走りやすいアタマによる思考のマイナスを補って余りあります。
まずはアタマで考える。その判断が最適かどうかをハラでも考えてみる――。こうした2段構えで考えていくと、いつでもどこでもどんなときでも、最適な判断を下せるようになります。