今日という1日を精いっぱい生きる
人生の時間は、人によって異なります。平均より多く生きた人もいれば、そうでない人もいます。
人生を長くするか短くするかは、自分で決められるものではありません。また最初から決まっていないものです。
いつ終わるかも、誰にも分かりません。確実に終わるとは知りながらも、毎日毎日真剣に生きていく――。結局のところ、できることはそれだけです。
終わりが分からないのは、ある意味では、幸せなことです。いつが終わりだか分からないからこそ、10年、20年、30年……と先のことまで展望して、自分の人生を思い描くことができるのですから……。
「〇〇歳になったら、こんなことをしよう」「〇〇歳になるころには結婚して、マイホームで家族仲よく暮らしているかな」「定年になったら、前から考えていたことを1つ1つ実行していこう」……
できる/できないは別にして、これからの人生を自由に思い描くのは、自分の終わりが分からないからです(もしかしたら、「終わりがない」と思っているのかもしれません)。終わりがあるからこそ、毎日真剣に生きることができます。
「終わりがある」と思うと、確かに悲しくつらく苦しくなることもあります。それでも、終わりがあるからこそ、今日という1日を精いっぱい生きるようになります。
これは、気休めで言っているのではありません。生き方の根幹にかかわることだから、言っているだけです。
終わりがあるのだから、何も「真剣に生きることはない」と考えてもいいし、実際にそうやって毎日を過ごしている人はいます。その人がもし今日で人生が終わってしまうと知ったとき、振り返って、「いい生き方をしてきた」と思うでしょうか。
「もっと真剣に生きるべきだった」と後悔するに決まっています。これは断言できます。
終わりがあるから、毎日を真剣に生きるようになります。今は元気でも、まだ若くても、人生はいつ終わりが来るか分からないものです。これは、誰についても言えます。
いつ終わりが来てもいいように、毎日を真剣に生きていく。
たとえ今日、人生が終わるとしても最期まで精いっぱい生きる。そういう人だけが、充実した人生を手にすることができます。
(朝の独り言☆)
54歳の誕生日を迎えるにあたり、数え切れないくらい沢山のメッセージを国内外から頂きました。また、宿泊施設のスタッフや普段お世話になっている関係者、仲間からもお花やプレゼント、サプライズギフトなど、感謝、感謝です。明日から、さらに本気で頑張りたく思います。皆さん、本当にありがとうございました😊