買った宝くじが、1等の当選番号とわずか数字が1つ違うだけだった……。こんなことがあれば、「ツイていない!」と思う人がほとんどです。
もし自分の身に起こったとすると、たった1つの数字の違いで天国から地獄に突き落とされたような気分になります。周りの人にその話をしても、「ツイていないね」と同情されるに決まっています。
もっとも、高額賞金が当たる宝くじの当選番号の数字が1つ違いなんてことも、めったに起こるものではありません。その意味では、「貴重な体験をした」とも言えます。これは皮肉でもなんでもなく、起こったことをそのまま表現しただけのことです。
「ツイている」と「ツイていない」の差など、ほんのわずか。偶然でかたづけられてしまっても、おかしくはありません。
いつも「ツイていたい」から神社にお参りする人は、たくさんいます。やはりツイていないより、ツイているほうが「いい」に決まっています。
だからと言って、ツイていないことが悪いわけではありません。残念なことではありますが、それで「この世の終わり」になるわけではないのですから……。
ツイていないことは、いいことです。こう言うと、「そんなことないですよ!」「私なんかツイていないことばかりでs!」と反論する人がいそうです。ツイていないと言っても、一生その状態が続くことはありません。
いつかはツキが回ってきます。「ツイている!」と、何度も実感する日もあるはずです。
ツキというものが回ってくるものだとしたら、自分のところにやって来ても、いつかは離れていくものだということ。これは、「今、ツイている人は、遅かれ早かれ、ツキが離れていく」ことを意味します。いずれそのときが来ることを覚悟しておくべきです。
逆に、今、ツイていない人には、いつかはツキが回ってきます。それがいつなのか、誰にもわかりません。知っているのは、ツキのみ。「いつかは回ってくる」と思えば、嘆いたり悲しんだりガッカリしたりするのは、ちょっと大人気ないとさえ言えます。
今、ツイていないのは、いいことなのだ――。いつかはツキが回ってくるのですから、ツイていないときは、こうとらえたほうがいいです。
「ツイている!」と実感できる、そのときのために、準備しておくことがあれば、ツイていない今は、それをやっておきたいものです。ツキが回ってきたときのために――。