どんなに細心の注意を払って行動していても、誰かに迷惑をかけたり損害を与えたりしてしまうことがあります。生きている以上、それは誰にとっても避けられないことです。
このときその相手には謝罪はもちろんのこと、迷惑や損害の埋め合わせをしなければなりません。その行為こそが、「償い」です。
償いとは、迷惑や損害を被った相手がそれ以前と変わらない状態に戻るまでフォローしていくこと。相手にとって支障がない状態になるまで行っていきます。
その方法は、さまざまです。金銭で済ませることもあれば、かいがいしく世話をしたり、何かを融通したりすることもあります。
いずれにせよ、誠心誠意行っていきます。これに尽きます。
また償いは、相手が「もう十分ですよ」と言うまで行っていきます。世間的な相場や常識レベルで「このくらいでいいだろう」と決めるものでもありません。
たとえ過失であれ、相手が迷惑や損害を被ったのは事実。その相手が以前と変わらない状態にまで回復するところまで持っていく責任はあります。
とは言え、「義務」ととらえると、つらくなる一方です。それは、こちらも相手も同じ。むしろ「貢献」ととらえていったほうが、両者ともラクになります。
相手にとっては、ダメージを受ける以前と変わらない状態にまで回復するのは、ゴールではありません。
それは、リスタート。そのために「あのころのように戻ろう」と、一生懸命頑張っています。
その相手を支えるのが、迷惑や損害を与えた側。回復するところまで伴走して、できることはすべてやっていかなければなりません。
そこまでやってもらって、なおかつ無事に回復できたら、相手も受けた迷惑や損害を水に流して、「もう十分ですよ」と言ってくれます。
ダメージを受けた側なのに、貢献してくれたことに感謝さえしてくれます。
ここまでするのは並大抵のことではありませんが、償いとは本来的にそういうものです。リスタートできるように、トコトン相手に尽くすから、わだかまりがキレイさっぱりなくなります。
あなたは今日、誰かに償いをしましたか。その相手にトコトン尽くしましたか?