「ここまで頑張ってきたのに中止だなんて、やってきたことがすべてムダになった」……
上司やクライアントに突然、進めてきた事業の中止を告げられたとしたら、あなたは、こんなふうに思うかもしれません。理不尽さに怒り心頭になるでしょうか。
あなたが精魂傾けて取り組んできたことを、上司やクライアントが知らないわけではありません。あなたの無念さも知っています。
それでも「やめる」という苦汁の決断は変わりません。それが、組織としての決断なのですから、残るのは従うのみ。
それは、「長いものに巻かれる」ということではありません。組織に属する人間としての当然の対応です。
一生懸命やってきたのですから、あなたの悔しい気持ちは理解できます。そんなあなたには、「もうイヤだ。辞めてやる!」と、ヤケを起こしてほしくありません。
たとえ中止になったとしても、やってきたことは必ず血肉化します。もし「ムダ」と思ってしまったら、あなた自身を否定しているのと同じです。
この世で起こったすべての出来事は、ムダではありません。ムダなどないと言っていいです。
確かに一時的には「ムダだった」と思えることは、あります。それもほんの一時期だけ。
あとになれば、その「ムダだ」と思った期間にやったことを活かせるようになっています。それは、あなた自身が成長したから……。
中止になってしまったことには、うまくいかないなんらかの原因があったのも事実。そのときのあなたは、それを知らずにいたということ。
それから時間が経ち、あなた自身もうまくいかない原因におぼろげながら気づき、「これがよくなかったんだ」と、理解するようになります。それは、あなたが成長したから……。
「ムダではなかった……」
そう認識したあなたは、過去の自分の失敗を反省し、2度と繰り返さないように、もしくは、よりよくできるように改善します。そうした行動を惜しみません。
この世の中には、ムダほどのちに活かせるものは、ほかにありません。ムダと思ってしまうのは、あなた自身が活かしていない証拠。
ムダは、1つもありません。あるとすれば、活かしていない人が何もしていないことにほかなりません。この世に、ムダはゼロです。