なろうと思っても、なかなかなれないもの。それが、「無心」です。もっと言えば、無心とはなろうと思うと、なることができないものです。
自然になっていくものであり、気がついたら、いつの間にかなっているもの――。禅問答のようですが、無心とは、そういうものです。
無心とは、自分を捨てることです。自分を捨てるから、なることができます。
「勝ちたい」「売り上げを伸ばしたい」「契約を取りたい」「昇進したい」「試験に合格したい」……
そういう欲を持っている限り、無心になることはできません。ドロドロとした思惑やモンモンとした気持ちがあるのは、自分を捨て切れていない証拠です。
欲とか結果、思惑にとらわれていては、いつまで経っても自分を捨てることはできません。
ただ誰か/何かのために一生懸命に行動するようになって、ようやく自分を捨てられるようになります。
自分のことはどうなってもいい。結果や利益などは二の次。欲などきれいサッパリ忘れてしまう……。
誰か/何かのために一途に取り組んでいると、自分のことをキッパリ捨てられるようになります。そのときの自分は、もはや欲や結果、利益などとは無縁です。
ただただ誰か/何かのために尽くしています。そう、無心になっています。
そうやって自分を捨てていると、不思議なことが起こります。今度は自分に向かって、いい風が吹いてくるようになります。まさに捨てる神あれば、拾う神あり。自分を捨てると、結果や利益がついてくるようになります。
誰か/何かのために一途に取り組んだ「ご褒美」が、あなたに与えられることがあります。それは、無心で取り組んだ結果です。
自分を捨てることは、自分自身を粗末にしたりあと回しにしたりすることではありません。誰か/何かのために一生懸命尽くすことです。
その真摯な取り組みが認められて、あとから自分自身に結果や利益として返ってきます。自分を捨てて無心になるから、こういう循環が起こります。
あなたは今日、無心になって行動しましたか。誰か/何かのために自分を捨てることができましたか?
(朝の独り言☆)
連休は、如何お過ごしでしょうか!
私は、仙台での学会特別講演の原稿依頼があり書いていました。講演だけと思っていましたので、、、。