結果が出たら、うれしいし楽しい……。これは、多くの人が感じることです。
結果は「出ない」より「出る」ほうがいいに決まっています。とは言え、結果それ自体に喜びや楽しさがあるわけではありません。
こう言うと、「うれしいに決まっているではないですか」「どうして楽しくないんですか」と食ってかかる人もいそうです。
結果が出ることに「うれしい」とか「楽しい」とか感じるのは、ほかのことと混同しているからです。
なぜ結果が出たのかを突き詰めて考えていくと、別の景色が見えてきます。うれしいとか楽しいと感じていたのは、別のことだと分かってきます。
結果それ自体は、努力や行動の対価です。いい結果が出たのは、その人がきちんと努力や行動をしたからです(もちろん、努力や行動をしたらかと言って、結果が出ないこともあり得ます)。
もっと言えば、持っている力をその人がすべて出したから、結果が出たということ。全力投球をしたからこそ、かなりの確率で結果がついてきます。
ここで思い起こしてもらいたいことがあります。自分自身が100%の力を出せたときは、「うれしい」「楽しい」と感じていたのではありませんか。出た結果にかかわらず、充実感や達成感を得られたのではありませんか。
そう、うれしいとか楽しいとか感じていたのは、結果そのものではありません。自分自身が持っている力を100%出せたことです。このことと、結果が出たことを混同している人は、たくさんいます。
もし持っている力の半分とか3分の2くらいしか出さなければ、結果が出ることなどないものです(まれに間違って、いい結果が出てしまうこともあり得ます)。
そのときは「悔しい」とか「楽しくない」と感じていたのではないでしょうか。
それは、結果が出なかったからではありません。自分自身が持っている力を100%出せなかったから、「悔しい」楽しくない」と感じていたのです。
いつでもどこでもどんなときでも、持っている力を100%出せたら、うれしいし楽しくなります。それは、誰でも同じです。
持っている力を100%出せるのは、快感です。結果を出せる人は、その快感を得るために、日々、努力や行動を続けています。