相手に分かってもらいたい。相手のことを分かってあげたい……。
この2つは、密接不可分です。どちらかだけを求めたり実行したりしていても、よくありません。
基本的に、人は、分かり合いたい生き物です。自分だけが相手を分かっていても、満たされません。自分も相手に分かってもらえるから、満たされるようになります。
人間の本当の気持ちは、他人にはなかなか分からないものです。分からないからこそ、相手に「察してよ」と、求めがちになります。
それは、エゴです。そういう人は、少なくありません。
難しいにもかかわらず、自分のことを相手に分かってもらおうとするならば、方法はただ1つ。それは、自分自身が相手のことを分かるようにすることです。
相手が喜んでいるのか怒っているのか悲しんでいるのか楽しんでいるのかを真剣に探っていっても、最初はなかなか分かりません。
「怒っているのかな?」と思って、恐る恐る近づいてみると、実は楽しんでいたり、「喜んでいるな」と思って話しかけてみると、実は悲しかったりします。
人によって、気持ちの表し方は異なります。相手を分かろうと思ったら、場数を踏んでいくしかありません。
多くの人と接していくうちに、「この人は今、怒っている」「この人は今、喜んでいる」と、相手のことが分かるようになっていきます。
そうして相手のことが分かるようになると、共感できるようになります。
怒っている人に、「そんな理不尽なことがあったの。大変だったね」と、怒りを少しでも和らげるようにしていきます。喜んでいる人に、「いいことがあったんだね。よかったね」と祝福します。
相手の気持ちを共有していくと、マイナスを少なくすることができるし、プラスを増やすことができます。それは、共感力を身につけた人だからこそ、可能になります。
こうしてあなたが相手のことを分かるようになると、反対のことが起きるようになります。相手があなたのことを「理解したい」と思うようになっていきます。
相手があなたのことを分かろうとしてくれますから、あなたは自分の気持ちをそのまま話すだけです。
お互いに共感するようになると、まさに以心伝心になっていきます。
(朝の独り言☆)
今日も来年に向けた、新しい企画の話ができました。すでにいくつか企画も決まっていますので、充実した年になります。毎年、秋には翌年にむけ、5割〜6割の計画を決めています。来年は、著者10周年です。例年以上に、頑張りたく思います。