366ある、今日という1日。どれも同じように見えて、1つとして重複するものはありません。
同じことを決まった時間に、等しいエネルギーと情熱を持ってやったとしても、その結果は微妙に異なります。仕上がりに納得できる日もあれば、まったく満足できないこともあります。
やる気や体調、周りの環境がいつも同じということは、あり得ません。それらは一定ではなく、だからこそいつも納得できる仕上がりにするのは難しいことです。
いつも同じにならないと分かっていながらも、限りなく一定の、それでいてできるだけ高いレベルでの仕上がりにする――。
こういう難しい取り組みをするのが、人としてのあるべき姿です。
毎日同じことをやりながらも、仕上がりが少しでも均一になるようにするのは、並大抵のことではありません。
やる気や体調を管理しながら周りの環境がよくなる工夫をしているのですから、ハッキリ言って、かなりレベルが高いことをしています。
大げさに言えば、一種の不可能への挑戦。そんな難しいことを私たちは、毎日しています。
同じことをやり続けるのは、代わり映えがしないので、飽きてきます。最初のうちは同じエネルギーと情熱を持ってやっていたとしても、惰性的になってきます。
逆説的ですが、それは少しずつ上達しているから……。うまくなっているのに、同じことを変わらずにやらなければならないと、エネルギーも情熱も薄れてきます。
本人は少しずつ成長しているのに、なかなかそれが実感できないから次第に飽きていってしまいます。
同じことをやり続けると、成長できないのかと言うと、それは明確に「NO」と言えます。もしそう思っているとしたら、「理解が浅い」と言わざるを得ません。
同じことをやっても、日によって出来が異なります。それを高い仕上がりで一定化するのは、スゴイことです。
これができるようになるのを「成長した」と言わずに、ほかになんと表現すればいいのでしょうか。