2018.12.21.

周りをイエスマンで固める人は、プレッシャーに負けている、、、

頑張って高い地位に就いた人は、大きく言って次の2つに分けることができます。1つは、幅広い多様な人材を登用する人。もう1つは、周りをイエスマンで固める人。

どちらが今後も伸び続けるかと言ったら、言うまでもなく前者です。後者の場合、その可能性はゼロではないですが、相当な覚悟が必要になります。

高い地位にまで就いたのは、紛れもなく本人の努力の賜物です。そのことは、間違いなく言えます。

その地位からさらに上を目指すとしたら、それまで以上の努力を必要とします。当たり前ですが、質量両面で、努力のレベルも高くなってきます。

しかもより高いレベルの結果を求められるようになります。そのプレッシャーは、生半可なものではありません。

ほどほどの結果を出しても、誰もホメてくれないし、むしろ「あの程度しかできないのか」と酷評されかねません。これでは穏やかな気持ちではいられなくなります。

人間ですから、ホメてもらいたいし、お世辞の1つでも言ってもらいたくなります。「頑張っているのに評価されない」というココロのスキマを埋めるために、イエスマンばかりを集めるようになってしまいます。

「さすがです」「スゴイですね」「今回もうまくいきましたね」……
自分を認めるてくれる人ばかりが周りにいると、自分をいう存在を実感できるし、安心できます。一時的とは言え、プレッシャーからも解放されます。

たやすく承認欲求を得られること。これが、イエスマンばかりを集める理由です。

もちろん、劇的な副作用があります。耳の痛いことを言ってくれる人がいないので、いったん間違った方向に進んでしまうと、止まらなくなること。

イエスマンは、能力的にもキャリア的にも、その人より劣っていることが多いものです(逆に、優れていたら、イエスマンにはなりません)。

うまくいかなくなったときに、事態を好転させるアイデアが出てくるはずもなく、後手に回ってしまいます。

また自分自身もイエスマンのお世辞に気分がよくなって、成長意欲を失っていきます。起死回生のアイデアを出そうとしても、それすら浮かばなくなります。

その行き着く先は、せっかく就いた高い地位を失うこと。もしこの人がプレッシャーに負けず、多様な人材を揃えていれば、このような結果にはならなかったはずです。