「艱難汝を玉にす」
好むと好まざるとにかかわらず、困難な状況は、人を成長させます。それは、否定できない事実です。
困難でなければ成長しない……。そういうことではありません。特に異常なことがない、日常生活においても、人は成長します。
基本的に、人はいつでもどこでもどんなときでも成長できます。それでも「困難な状況ほど確実に成長できる機会がない」から、そう言われるゆえんです。
なぜ困難な状況が人を成長させるのかと言うと、理由はいくられでも挙げられます。その中の1つをあえて言うと、自分の持っている力をすべて出そうとするから。
困難状況とは、自分自身の現在の実力では太刀打ちできないものです。もし太刀打ちできるなら、それはもはや困難ではありません。
切り抜けるには、持っている力すべてを出して立ち向かっていきます。
「逃げる」という選択もありますが、それは一時的に避難しているだけ。
一時的に切り抜けられたとても、遅かれ早かれ困難な状況に再び直面します。そのときは自力で立ち向かうしか、切り抜ける方法はありません。
結局のところ、解決の選択肢は、自分自身が積極的に立ち向かっていくだけです。
そうであれば、持っている力すべてを出して、サッサと切り抜けるほうが得策です。
そのほうが確実に解決できるし、また早く成長できます。
今の自分の実力では太刀打ちできないからと言って、解決できないわけではありません。立ち向かう前は、確かに「困難>自分の実力」です。
「ちょっと厳しいかな」と思いつつも、持っている力すべてを出して立ち向かっていくと、最初はなす術もないかもしれません。
そんな状態であっても、取り組んでいるうちに、持っている力が少しずつアップしていきます。
困難な状況に直面している、まさにそのときでも、人は成長します。
そうして少しずつでも成長していくと、たとえ時間がかかっても、困難な状況を切り抜けられるようになります。
困難<自分の実力。もはやそれは、困難と呼ぶのが難しくなっています。
困難に挑むから、人は成長します。困難を歓迎できる人間でありたいものです。