何かをやろうとしても、それが成功するのか失敗するのかは、事前にはまったく分かりません。それは、どんなことにも言えます。
「成功しそうだ」「これはイケる」「うまくいくかもしれない」……
そういうカンが、事前に働くことはあります。カンが鋭い人もいます。
だからと言って、100%成功するわけではありません。やってみなければ、成功か失敗かは分からないものです。
「失敗しそうだ」「これはイケそうもない」「うまくいかないかもしれない」……
そういう心配が、事前に先立つことはあります。心配性な人もいます。
だからと言って、100%失敗するわけではありません。やってみなければ、成功するのか失敗するのかは察知できないものです。
成功か失敗かは、やったあとでなければ判明しません。事前にどうなるか議論するのは「意味がない」とは言いませんが、時間をムダにしているところがあります。
議論して成功するのか失敗するのか分かるようなら、誰も苦労しません。それこそ議論して「成功する」と判明したことだけをやっていけばいいのですから……。
もしそれが事実であれば、世の中は成功だらけになります。現実がそうなっていないところを見ると、やはり事前には分からないし、議論することの効果はあまりないということです。
データを集める。専門家の話を聞く。ユーザーに調査する。プロジェクトのチームをつくる。試作品をつくる……。
そうしたことは「やらなくていい」とは言いません。必要なときもあります。
それでもそうしたことに時間をかけて、なおかつ成功するか失敗するか議論しているヒマがあるのなら、サッサとやってみるべきです。
少なくともやってみない限り、成功はあり得ません。このことは100%確実に言えます。
成功するか失敗するか、事前には分からないから、ともかくやってみます。やれば、必ず成功する、反対に失敗するという結論が出ます。
それが出るのは、あれこれ議論するよりも意外と早いかもしれません。
「小田原評定」をしている限り、成功はあり得ません。そこにあるのは失敗だけ。これも100%確実に言えます。