時々刻々――。時代が変化するスピードは速まりこそすれ、遅くなることは絶対にありません。
もしあるとすれば、それは停滞しているとき。悲観的に述べれば、滅亡に向かっているときです。
時代の変化についていこうとするのは、いいことではありません。むしろよくないことです。
時々刻々と変わる変化に対応するのは、すでに後手に回っているということ。
それよりもほかにするべきことがあります。それは、時代の変化のスピードより自分自身の成長スピードが上回っていること。
それができなければ、時代についてはいけなくなるか、振り回されてしまいます。こう言うと、尻込みしてしまうでしょうか。あるいは落胆してしまうでしょうか。
大丈夫です。努力し、かつ行動し続けている限り、人は成長します。そのスピードを無限に速めることもできます。
成長のスピードは、あくまでも本人の「努力と行動」に比例します。持って生まれたものは、ほとんど関係ありません。
たゆまぬ努力と行動を続けていれば、成長スピードはいくらでも速くできます。加速が落ちることもありません。
成長し続けている限り、どんなに時代が変わっても、揺らいだり焦ったりしないのは、スピードが加速しているから。時代より先に進んでいるのですから、揺らぐことも焦ることもなくなります。
成長し続けている人は、実は時代の変化にあまり関心がありません。なぜなら時代の先を行っているから。スピードも違うし、あとから自分に追いついてくる存在を気にかけているヒマもないのが実状です。
時代がようやく追いついたときも、特別な感情はゼロ。本人は、「あっ、そうなの」と、素っ気ない反応を示すだけです。
それも当然のことです。なぜならそのときはもっと先を行っているから……。
時代の変化についていこうとするのは、努力と行動が圧倒的に不足している証拠。それゆえに「好ましいことではない」と言えます。