2022.1.24.

本物だけを見続ける、、、

真贋を見分けるのはカンタン。こう言うと、「そんなことないですよ。こんなに難しいことはありません」と条件反射的につぶやく人がいそうです。

確かになんの知識もスキルも経験もない状態で、真贋を見分けるのはカンタンではありません。「難しすぎる」と言ってもいいくらいです。

それなのになぜ「カンタンだ」と口にするのかと言えば、ある条件を満たせば可能になるから。その条件とは、本物だけを見続けること。

ヒト・モノ・カネ・情報のすべてにおいて、本物だけを見ていくと、まがいもの、いかがわしいものがすぐに判別できます。真偽が定かではないものを目にしたとき、「これはニセモノだ」「これは本物だ」と、ピンとくるようになります。

この見分け方は、本物だけを見ているからできるようになります。ニセモノではない、本物とは呼べないものをたくさん見たとしても、判別する目が養われるわけではありません。

本物を知らないでいると、ドンドン目が曇っていきます。そのままでは実際に本物を目にしたとしても、ピンとくることもなくスルーしてしまうのは間違いありません。

世の中は玉石混淆。玉よりも石のほうが圧倒的に多いのが、現実です。それは、日ごろから本物を見る機会が少ないことの裏返しです。

めったに本物に接することがないから、真贋を見分けられないのもムリはありません。

本物だけを見ていくと、誰でもそれが持つ迫力やエネルギーを感じ取れるようになります。それは、箸にも棒にもかからないものやニセモノにはまったくないもの。

その本物だけが持つ迫力やエネルギーをキャッチできれば、もはやニセモノを見てもカンタンに見破れるようになります。ニセモノが持つ独特のいかがわしさにピンときて、すぐに除外していきます。

本物はそれ自体の数が少ないですから、自分で探して求めていかなければなりません。その探し出していくプロセスは時間がかかるし、ときにお金も払わなければならないこともあります。もっとも、それは必要経費。

時間とお金というコストを払ってでも、本物を探して見続けていくことは避けてはなりません。それが自分の見る目を養うことになるのですから……。

この真贋を見分ける目は、ヒト・モノ・カネ・情報のすべてに共通して言えることです。

(朝の独り言☆)
今週は、溝口メンタルセラピストスクール総会です。
ここ二年 総会をしていませんでした。今の時期も感染拡大という点では変わりありませんが、今回は オンラインを取り入れるようにしました。自己啓発の学びで、「アプローチの改善」というのを学びましたが、環境に合わせて対応していくことで 無理と思うことも可能になります。
何かに行き詰ったとき、「アプローチの改善」をしてみて下さい。