何かにトライしようとするとき――。それが難しいことであればあるほど、正攻法で臨んでいくべきです。
ここで言う「正攻法」とは、セオリーどおりにやること。言い方を換えれば、原理原則に徹すること。
目の前にある、これから取り組もうとすることは、ひと筋縄ではいきません。正攻法でいっても、歯が立たない可能性があります。
「それならば」と、正攻法ではない方法を模索する人もいるかもしれません。たとえば、フェイントをかける。あるいは、セオリーを無視する……。
そういう方法を一概には否定しませんが、得策ではないです。なぜなら目の前の結果にとらわれすぎているからです。
今の自分よりレベルが高いことに挑もうとしているのですから、正攻法でいっても、うまくいく確率は低いです。正攻法ではない方法のほうが、得てしてうまくいくことがあります。
しかしながら、そういう一種の「邪道」をしてうまくいっても、再現性がありません。結果は出ても、実力が身につかないという不憫な状態になってしまいます。
邪道は、あくまでも邪道。気軽に手を出していいものではありません。うかつに手を出すのは、とても危険です。
正攻法でいっても、実力がまだ不十分な状態なら、玉砕する確率は高いです。それは仕方がないことで、割り切ってやっていくしかありません。
それでもその行動がムダに終わることはないです。セオリーどおりにやっていますから、たとえうまくいかなくても、知らないうちに実力はついています。
きちんとやっていけば、たとえすぐに結果が出なくても実力がつく――。正攻法とは、そういうものです。
トライする前とあとで、「変化がない」ということはありません。続けていれば、そのうちにどんなに難しいこともクリアできるようになります。
正攻法でいけば、すぐにうまくいかなくても、続けていくうちに結果が出るようになるものです。そのとき、「やはりこの道しかない」と再認識するに違いありません。
急がば回れ――。それを体現するのが、正攻法です。