2022.6.1.

気持ちの入らない行動をしない、、、

 急いでいたり、イヤイヤやっていたりすると、どうしてもサッサとかたづけようとして、結果として仕上がりがよくなかったり中途半端になったりします。周りからは「あの人は大雑把だな」と見られることになります。

 本人にすれば、周りから芳しくない評価をされるのは不本意なところがあります。それでも結果がよくないのですから、申し開きのしようもありません。

なぜ大雑把に見えてしまうのかと言うと、行動に気持ちが入っていないから。「きちんとやろう」「誰かに喜んでもらおう」という気持ちはみじんもなく、「こんなことはサッサと終わらせたい」と思っているから、それが仕上がりに反映されたということ。そのことに気づいていない本人は、滑稽ですらあります。

大雑把とは、行動に気持ちが入っていなこと。言い換えれば、いいかげんに考えたり取り組んだりすること、またその結果です。

やるほうにすれば、「行動するのがイヤ」という気持ちが先立っています。本人はその気持ちが外部に表れていないと思い込んでいますが、実は丸見えです。やっている最中に、「イヤだ」とか「したくない」という気持ちがダダ漏れしています。

周りの人たちはそれをしっかり感じ取っているし、実際に仕上がりも芳しくないので、「あの人は大雑把だな」と言わざるを得ません。その意味では、周りからありがたくない評価をもらうのは、自業自得です。

たとえこれからやろうとすることがイヤだったとしても、やる以上はきちんと取り組むべきです。そのほうが賢明です。なぜならきちんと真摯に取り組んだほうが速く終わるから。またやり直しの可能性がゼロになるから。

サッサと終わらせたいのであれば、なおさらきちんとやっていく――。これは、逆説的真実です。

大雑把にやっても、いいことなど1つもありません。むしろ評価を下げたりやり直しの手間がかかったりして、マイナスばかり。

イヤイヤやらなければならないときこそ、真摯に取り組む(もちろん、どんなことにも真摯に取り組むべきです)。それは、大雑把を未然に防ぐことにつながります。

あなたは今日、どんなことにもきちんと真摯に取り組みましたか。大雑把になるのを防ぐことができましたか?

(朝の独り言☆)
10年以上出版関係の仕事をしていますと、関係している方で定年退職する方もいます。本当に淋しいと思うことがあります。
今の日本での人材難を考えると、定年退職が少し早いようにも思います。雇用する側にとっても、実績と経験を活かした役割は、凄く大きいと思います。定年退職年齢を見直す時期でないかとも思います。
よく雇用延長契約と言いますが、手当が少なくなり やりがいのないようにも感じます。
私もスタッフには、長く働きながら自分にしかない役割を持って頑張りましょう!と話をします。時代と共に変わるべき考え方も大切ではないでしょうか。