続けていなければ、味わえないもの――。こう問われて、思い浮かぶものはいくつもあります。
真っ先に出てきそうなのは、「成功」。「信用」や「実績」なども該当します。華々しくはないですが、ほかにも確実に言えるものがあります。それは、醍醐味――。
こう言うと、同調してくれる人はたくさんいそうです。それは、その醍醐味を味わった人がかなり多くいることを物語っています。
醍醐味は、よく成功体験と混同されがちです。うまくいったときに味わえるものと思っている人がいますが、両者は似て非なるものです。
前者は、達成感と満足感をミックスしたようなもの。必ずしもうまくいったかどうかとは関係ありません。むしろ結果がよくないときでも味わえることがあります。
ひと言で言うと、そのものごとが持っている価値に気づくこと。何をするのであれ、取り組んでいるものごとの面白さに気づき、さらに「追求していこう」と思いを新たにしたときに味わえます。
それゆえに成功したときに味わえるとは限りません。うまくいかなかったときでも「なるほど、こういうことか」と醍醐味を味わえることもあります。
うまくいかなかったにもかかわらず、なぜかニコニコしたり納得したりする人がいるとすれば、それは醍醐味を味わっているから――。そう言ったとしても、決してピント外れではありません。
取り組んでいることの本質的な価値に気づくには、ある程度長くやっていなければ分からないことです。
1回や2回で味わえる人などいません。もしいるとすれば、その人はコツとかツボといった、ほかの何かと混同している可能が高いです。つまり、醍醐味をまだ味わえていないということ。
どれくらいやれば味わえるのかという基準は、ありません。100回とか1年やって味わえる人もいれば、1000回とか10年やってようやく気づく人もいます。
早く気づけばうまくなる。逆に、気づくのに時間がかかるようだと、あまりうまくなれない……。決してそんなことはありません。
あえて早く気づける人がいるとすれば、真剣にやっていたから……。真剣にやっているほうがいいかげんにやっているより、確実に早く気づけます。
(朝の独り言☆)
最近、医院の庭の木が枯れて駐車場に枝が落ちたので、お庭管理している会社に電話したところ 木を切るのにいくらですと見積もりがきました。一年を通じて芝の管理はしていますが 木の管理はしていないので、ということでした。以前も確かに 木が枯れて切ったことがありましたが、まるで、歯科医院で歯ぐきの管理にいくら、歯のカリエス管理にいくら、みたいな考え方に驚きました。働く人がいなくて大変で気づかないのかと考えていましたが、安易な自分の価値観でも捉え方は良くないなと反省しましたね。新しい会社に全て管理してもらうということでお願いすることにしました。