花は、美しく咲きます。咲いている花は、どれも美しく、まるで存在をアピールしているかのように感じます。
もっとも、「美しい」と思っているのは、人間です。花は、「美しくなろう」「キレイに咲こう」と思っているわけではありません。
花は、咲くことだけを目指しています。美しく咲くことができたのは、あくまでも結果にすぎません。
しかもわずか数日という短い期間のために咲きながらも、やがて枯れてしまいます。その短い期間のために、精いっぱい日々、活動しています。
翌年も同じように咲くことを目指して、花が枯れてからは翌年まで1年間、地道に活動します。
咲いている期間はわずかでも、咲かせるための活動はその何倍、何十倍もしています。それは、ずっと続きます。木や草の生命が続く限り、花を咲かせようとします。
花が美しいのは、正確に言えば、花を「美しい」と感じるのは、生命活動そのものだからです。
どの花にも、生きていることのエネルギーが、満ちあふれています。花から躍動せんばかりのエネルギーを感じるから、「美しい」と思うようになります。
そのエネルギーは、どの花も同じです。大きな花にはエネルギーがたくさんあって、小さな花には少ないということはありません。
桜も梅も椿も、同じように毎年、美しく咲いています。どれが美しいとか今年のほうがキレイだということはありません。「こっちのほうが美しい」と思ってしまうのは、ただの主観、あるいは好みです。
すべての花が、美しく咲いている。それで十分です。
人間も同じ。1人1人は美しい。それで十分です。
1人1人が確固とした生き方を持って、毎日一生懸命活動していれば、自分という花は咲きます。自分という花は、どれも美しくキレイです。
「あの人のほうが美しい」「私のほうが美しい」と比べても、意味がありません。みな美しいのですから……。
花は散っても、また咲きます。人間も失敗しても、また行動すればいいのです。
花を咲かせるための活動は、生きている限り、続きます。人間も自分という花を咲かせるための活動は、生きている限り、続いていきます。
花も人間も美しい。それは、咲かせるためにひたすら一生懸命活動しているからです。
(朝の独り言☆)
今日は、一日雨が降っていましたが、夕方から止みました。今晩は、十勝毎日花火大会があり、全国から人が来ています。全国的に有名で、お昼の豚丼店などは、行列でした。
皆さんは、どんなお盆を過ごしていますか!