積み重ねてきたものは、それがなんであれ、決して色あせることはありません。また裏切ることもないです。
回数が多ければ多いほど、年数が長ければ長いほど、その積み重ねが活きてきます。どんなに積み重ねていっても、時代遅れにもなりません。
その蓄積を実感するのは、まさに「苦しいとき」です。うまくいっているときや、可も不可もない、ごくふつうの日常生活で実感できないのは、「大いなる皮肉」と言ったら大げさでしょうか。
うまくいっているときは、「よりよい結果を出す」ことに意識が向いているので、積み重ねてきたことには無関心になりがちです。蓄積してきたものがあるからこそ結果が出ているにもかかわらず……。まるで「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。
もっとも、うまくいっているときが永遠に続くこともありません。やがて退潮傾向に入って、だんだんと可も不可もない状態に戻ります。
それで済めばいいですが、今度はやることなすことうまくいかない状態に入っていきます。いわゆる不調で、それが進むとだんだんと苦しくなってきます。
人生においては、苦しいときは必ずやって来ます。それは、誰もが避けることができないものです。
一刻も早く抜け出したいのはヤマヤマですが、なかなかそうもいきません。自分の力で抜け出すほかなく、それがかなうまでは耐え忍んでいきます。
何をやってもうまくいかないと、「もうダメだ」と自信喪失することもあるかもしれません。そういう苦しいときに一番頼りになるのが、積み重ねてきたものです。
「私にはこれしかない」……
うまくいっているときに関心を示していなかったにもかかわらず、ようやく気づくのはあまりにも遅すぎますが、ともかくここから局面が変わっていきます。
積み重ねてきたものを信頼して、「私にはこれがある!」と自信を回復させていきます。あとはその蓄積でトコトン勝負していくのみ。
積み重ねてきたものを前面に出していくと、やがて復調して、可も不可もない状態に戻ります。そのうちにうまくいくようになります。それは、蓄積があったから。
苦しいときは、蓄積がものを言います。またそれを実感するのも、苦しいときです。
(朝の独り言☆)
毎日、診療の隙間時間に読書します。読書をして思うことは、本当に知識の大切さです。同じテーマの本でも、著者によって書かれていることが少々違うことがあります。ですから、同じテーマの本で多読することでより深くなり、表面的な理解が立体的な理解になっていきます。
そこに人生の経験が加わることで、本当に価値と意味を理解できるようになり、その時の感動がさらに学び欲を高めてくれます。また同時に、読書しない人は 知性というものをどのように磨いているのかとも思います。学ばない人生は 人生を放棄している、喜びも感動も無い人生ではないかと思います。
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