何かを覚えるには、ひたすら繰り返しやっていくしかありません。2回や3回で覚えられるようなら、それはとてもカンタンなこと。
幸か不幸か、世の中にそういうものは数えるほどしかないのが現実です。少なくても10回とか20回、100回や200回は当たり前で、場合によっては、1000回とか2000回やってようやく覚えられるものがほとんどです。それを嘆いたり恨んだりしたとしても、仕方ないことです。
覚えるということは、再現性があるということ。以前にやったことと同じようにできるようになって初めて、「覚えた」と言えます。
昨日はできたけど、今日はうまくいかなかった……。これでは再現性がないし、覚えたというのは時期尚早。
ハッキリ再現性が「ある」と言えるようになるには、やはり繰り返しやっていくに限ります。その回数は人それぞれであり、また取り組むものごとにもよります。
覚えると言うと、「アタマで記憶する」ととらえがちですが、それでは不十分です。むしろアタマだけで記憶しようとするから、再現性が高まらなくなってしまうのです。
しっかり記憶しようと思うのなら、アタマだけでなく、ココロもカラダも使っていきます。そう、アタマ・ココロ・カラダのすべてを使って記憶していけば、どんなことも覚えられるようになります。限りなく再現性が高まります。
アタマで記憶するのは、あくまでもプロセスやダンドリ。それがしっかりアタマに入っていなければ、何ごともうまくはいきません。多くの人にとってこれらがアタマに入っていないことが、再現性が高まらない原因になっています。
カラダで記憶するのは、ちょっとしたコツや工夫。これは何回も繰り返しやっていかなければ、身につくものではありません。
ココロで記憶するのは、少しずつでもうまくなっていくときの、うれしさや喜び。その感情を増幅させることで、うまくいかないことが続いても、「次こそはうまくいく」と、リトライできるようになります。繰り返し続けるには、欠かせないものです。
こうしてアタマ・ココロ・カラダの3つの記憶がピッタリ重なり合うようになると、ある日突然、やってきたことが自分のものになります。それが「覚えた」ということであり、記憶に深く刻み込まれたということです。