「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」
これは、「古今和歌集」に入っている藤原敏行の歌。「『秋が来た』と目ではハッキリ分からないけれども、風の音でそう気づかされた」という意味です。
あの暑かった夏も、もう終わりです。縦に長い日本列島も、ようやく全国的に秋を迎えようとしています。
季節の訪れを何で感じるかは、人それぞれ。花が咲いたことで「もう秋だ」と感じる人もいれば、旬の食べ物で「秋が来た」と実感する人もいます。
なかには藤原敏行のように風で感じる人もいます。確かに頬を撫でていく風を冷たく感じると、「ああ、秋が来たな」と気づいたりするものです。
風は季節の移ろいを伝えてくれるものですが、不思議なことに感じる人もいれば、そうではない人もいます。前者が敏感、後者が鈍感ということではありません。
その実態を言えば、前者が「生」を実感している人、後者が仕事に忙殺されている人。そう言っても、過言ではありません。
毎日、朝早くから夜遅くまで仕事をしている人であれば、おそらく風の冷たさを感じるヒマもないはずです。慌ただしい毎日を送っていると、季節の移ろいを実感することさえなくなります。
何もそういう生活が「悪い」と言いたいのではありません。人生の一時期には、馬車馬のように働くことも必要です。それでもひと言だけ言うとすれば、あなたにこう伝えます。
「そんな忙しい時間の合間を縫って、オフィスを出て風を感じませんか?」
あなたが気づかないうちに、季節は変わっています。夏が終わり、もう秋が来ています。その秋もやがて終わって、本格的な冬がやって来ます。季節はいつでもこのように巡っています。あなたが気づかない間に……。
季節の変化を感じるのは、生きていることそのもの。それを感じられないとしたら、生きていることの充実を手に入れていないと同じです。
1日の中でごくわずかでもいいから、風を感じる時間を持つ――。それは、とても贅沢な時間です。
あなたが仕事に忙殺されているのだとしたら、今すぐ外に飛び出してみませんか。思いっきり風を感じてほしいのです。「生きている!」という実感を味わうためにも……。