2017.6.5.

木を見て森を見ない、、、

「木を見て森を見ず」
これは、部分ばかり見て、全体を把握しようとしない視野狭窄に陥っているときに使われる言葉です。おそらくこの言葉は、毎日のように日本のどこかで使われています。

あなた自身も、言ったことも言われたこともあるのではないでしょうか。

部分的なことばかり気にしてしまい、全体を見渡そうとしないのは、確かにいいことではありません。こういうことをしていては、クオリティーを高めることばかりに気を取られて、肝心の納期に間に合わないということになりかねません。

納期に間に合わなければ元も子もないので、森を見ることを優先する……。それは、納期を守ることを優先してクオリティーアップを断念することです。

「木を見ずして森を見る」ことを追求すると、そうならざるを得ません。それがいいか悪いかは、判断が分かれるところです。

もっとも、「木を見る」ことが一方的な悪者にされる理由もありません。もっと言えば、効用もあります。それは、あまりにも全体が大きすぎて把握できないときです。

たとえば、何年にもまたがるビッグプロジェクトを手がけていくとき。完成まで数年を要するとすれば、なかなか全貌を把握できません。これでは大きすぎて、「森を見る」こと自体が困難です。ゴールが遠すぎるために、モチベーションを維持しにくくなります。

こういうときは「森を見る」より「木を見る」ようにします。

「今日はここまで」「今週はここまで」と、部分に着目して、全体の何十分の一、何百分の一に集中していきます。「森を見る」ことをやめてしまいます。

何十日、数百日と「木を見る」ことだけを続けていくと、進捗していることが分かってきます。

そのときに「こういうことをやっていたんだな」という全体がようやく把握できるようになります。

ここから「森を見る」ようにしても、決して「遅い」ということはありません。

「木を見る」ことと「森を見る」ことの両立は、なかなか難しいことです。熟練した人でなければ、まず両立はできません。多くの人にとって、「ゼロサム」に陥りがちです

「木を見る」ことは、悪いことではありません。ゴールが遠いときは、木だけを見ているとココロが軽くなって、速く進めるようになります。「木を見て森を見ず」をしてもいいときはあるのです。

(朝の独り言☆)
7月セミナーのタイトルは、

『NEO SYNCHRONICITY』に決定しました。近日、フォレストメルマガで公開されます。今回からは、フォレストプロジェクトチームがさらに強化されました。今後の展開を楽しみにしていて下さい。