2019.8.2.

誰も犠牲にしない、、?

「疲れたでしょ。あとはやっておくから、先に帰っていいよ」……
こんなふうに人の好意を受け取るのは、「甘え」です。疲労困憊になっているあなたを相手が慮ってくれているとしても、甘えていることに変わりません。

「迷惑をかけたくない」と思いつつも、「私なら大丈夫。それよりゆっくり休まないとダメだよ」と強く言うので、ついつい相手の提案を受け入れることにします。そのおかげで早く帰宅し、リフレッシュすることができます。

「前回は結果を出したけど、今回はうまくいきそうもない。それでもいいか」……
こんなふうに自分自身に妥協してしまうのは、「甘え」です。毎回毎回結果を出すのは難しいですから、今回うまくいかなかったとしても責められません。

それでも早々に白旗を揚げるのは、言語道断。最後まで頑張って結果が出ないのなら仕方ないですが、自分からしっぽを巻いて逃げてしまうのは、甘えすぎています。

甘えとは、自分自身をラクにすること。それ自体は悪いことのように見えないかもしれませんが、大いなる誤解です。

誰かの犠牲によって成り立つもの……。それが、甘えです

いくら好意とは言え、自分がやるべきことを誰かに代わりにやってもらうことは、その人の犠牲によって成り立ちます。

その人が「代わりにやる」という犠牲があるから、自分が早く帰ってリフレッシュできます。

ラクになっているのは、自分だけ。相手が犠牲になっていることは忘れてはなりません。やはり相手に甘えています

甘えたくないからと言って、相手の好意を無にするのも、カドが立ちます。こういときは相手に手伝ってもらうようにします。

そうすれば、相手に甘えずに好意をきちんと受け取ることが可能です。自分自身も早く帰って、リフレッシュできます。

「前回うまくいったから、今回はうまくいかなくてもいい」と思うのは、自分自身に対する甘えです。そうすることで自分自身の成長を犠牲にしています。これは、看過しがたいことです。

どんなときでも甘えはするべきではありません。それは、自分を含めた誰かを犠牲にすること。その認識は持っていたほうがいいです。

あなたは今日、誰かに甘えましたか。誰かを犠牲にしませんでしたか?