2020.5.7.

行き先は、自分で決める、、、

 人生という長い旅の終わり方は、誰でも同じです。不老不死のクスリでもできれば別ですが、その終わりについては誰もが免れることはできません。
もっとも、その行き先については、何1つ決まっていることがありません。どこへ行くのも、何を目指すのも自由。
自分で行きたいところを自由に選べる――。それが、人生。
自分で行き先を決められる――。これは、素晴らしいことです。その自由を誰もが謳歌すべきですし、してもらいたいものです。
あなたは、どこを目指しているのでしょうか。その行き先が、ハッキリ見えているでしょうか。
行き先を自分で決めることには、リスクもあります。そこを目指しても、本当にたどり着けるのかどうかは、事前にはまったく分かりません。
たどり着く前に、自分の人生が終わってしまうこともあり得ます。また途中で道に迷ってしまうことも「ない」とは言えません。
確実性も安全性もない……。それが、自分で行き先を決めるときに必ずつきまとうリスクです。
そのリスクを恐れる人は、「こっちに行くといいよ」「こちらを行ったほうがいいよ」と、誰かが教える行き先を進もうとします。そういう人は、いつの時代にも少なからずいるものです。
それでは、その人にリスクがまったくないかと言えば、いくらなんでも誇張しすぎています。
誰かから指示された行き先を目指しても、リスクはあります。自分で決めた行き先を行くのと同じくらいに……。
それなのに表面化しないのは、その人たちが安全確実だと思い込んでいるから……。リスクがあるのに気づいていないからにすぎません(その意味では、鈍感です)。
自分で行き先を決める人は、そこを行くのは最初から不確実で安全でないことをよくよく知っています。
リスクを覚悟で行くのは、やはり自分で決めた行き先を目指すことが素晴らしいことも知っているから。
それは、自分が生きている間だけしか味わえないことです。自分の行き先を決めるのは、今生でしかできないことです。それに気づいていない人は、あまりにも多いです。