必要なものと不要なものは、時々刻々変わっていきます。永遠に必要なものなどないし、その逆に生涯不要なものもありません。
必要/不要が何によって決まるのかと言えば、その明確な基準は「成長」です。その人の成長の段階によって、「これは必要」「あれは不要」と、自ずと決まっていくものです。
その意味では、何年も「必要なものが変わらない」というのは、悲劇です。それは、まったく成長していないということですから……。
分かりやすい例で言えば、ランドセル。小学生のときには絶対的に必要なものでしたが、中学生になって、まして高校生にもなって、ランドセルを使っている人はいません。
それは、必要なものが不要になったということ。こういう必要/不要は、人生のあらゆる場面において起こります。
不要になったものをいつまでも後生大事に取っておくのは、必要なものが入って来ない大きな要因になります。主に2つの面からそのことは言えます。
1つは、必要なものが入ってくるスペースがない。不要なものが残っていると、必要なものを活用・補完するスペースがありません。
不要なものを処分しないでいるのは、必要なものが入ってくる邪魔をすること。これは、多くの人が気づかずにしていることです。
捨てるのが「環境によくない」と思うのなら、それを必要としている人に譲ってしまえば一件落着です。
もう1つは、必要なものが何かを感知するアンテナが鈍ってしまう。こちらのほうが、深刻な影響を及ぼします。
不要なものが周りにあると、必要なものがあるにもかかわらず、「別にこれで不都合はない」「ムリすることもない」「節約したほうがいい」という思考になりがちです。
感度が鈍るだけでなく、成長を抑制することにつながりますから、こちらのほうが本当は「もったいない」ことです。
必要なものが変わっていくのは、成長している証。それを求めようとしないのは、自分自身が成長の足を引っ張ることです。「もったいない」という節約志向に矮小化せずに、もっと貪欲に求めていくべきです。