周りの人にうまくなじめない。給料が安い。仕事が面白くない……。
そういう環境にあるとしたら、多くの人は「ここは私の居場所ではない」と思うに違いありません。そのうえ「私の居場所はもっとほかにあるはず」と、どこかへ移りたいという感情を持つようになります。
もっとも、人間関係や待遇、仕事内容そのものが、居場所かどうかを決定づけるわけではありません。何かしらの影響はあるにしても、そうしたことだけを理由にするのは、ムリがありすぎます。
「周りの人になじめない」からと言って、居場所を移しても、その新天地でも人間関係で悩むようなら、同じことを繰り返すだけです。「給料が安い」「仕事が面白くない」からと言って、次の居場所を確保しても、同じこと。
多くの人は、人間関係や待遇、仕事内容がよければ、「ここは自分の居場所だ」ととらえがちですが、それは甘い判断です。「居場所とはどういうものか?」と問われたら、答えはただ1つ。それは、自分自身が成長できるところ。
自分自身が成長できるところを居場所にする――。これが、すべての人にとってあるべき姿です。それ以外に、居場所とするところはありません。
周りに人にうまくなじめなくても、自分自身が大きく成長できるのなら、そこがその人にとっての居場所です。周りの人になじめたとしても、少しも成長できないのであれば、居場所ではありません。ほかに居場所を見つけるべきです。
給料が安くても、あるいは仕事内容が面白くなくても、自分自身が大きく成長できるのなら、そこはその人にとっての居場所。
反対に給料が高かったり、仕事が面白かったりしても、なんの成長もできないのであれば、居場所ではないということ。すぐにでもほかに居場所をつくるべきです。
成長できるかどうかが、居場所の唯一のバロメーター。そういう場所を見つけるべきだし、もしなければ自らつくってもいいです。
成長できない場所にいても、自分自身が不幸になるだけ。今いるところが、自分がいるべき場所なのかは、常に問うておくべきことです。
あなたは今日、自分自身を大きく成長させるところに身を置いていましたか。「ここでは成長できない」と思ったら、自ら探したりつくったりしていましたか?
(朝の独り言)
今日は、秋にオンデマンドで行われる学会講演の講演動画を事務局に送りました。これで、大学講義の動画データも送りましたので、ひと仕事終えたという感じです。
最近は、診療の合間に色々な動画コンテンツや本を読んでいます。学んでいて思うことは、新たな知識、忘れていた知識、優先順位を高く捉えていなかった知識など、気づきがあることで、色々な考えが浮かんできます。やはり、学びなくして人生の成長も成果もないものだと強く思います。生きている限り、学び続けたいと思います。