多くの人は、「できる」について、はなはだしい誤解をしています。「できる」は、「完璧にやる」とイコールではありません。
多少不格好だったり、見映えがよくなかったりしても、自分自身が「これでいい」と思えれば、それは「できる」です。
うまい人が「こんなのは『できる』のうちに入らない」と言おうが、気にすることはありません。
むしろ気にしなくていいです。自分自身がその出来に納得できていれば、「できる」と言い切っても、なんの問題はありません。
コンテストや資格取得の面接など、誰かが審査して順位づけや権威づけするようなものは、確かに完璧さが求められます。
それは、何かの分野の出来に対して、自分自身が専門家のお墨つきを求めているからであり、完璧さを追求するのは当然のことです。この場合、より完璧なほうが評価されます。
そういう完璧さが求められるのは、ごく一部です。自分なりにコツコツやってきたもので通用するのであれば、「できる」と言っても差し支えありません。
たとえば、仕事でパソコンを使うとしても、ワードにエクセル、パワポさえ使えれば、十分です。それだけ使いこなせれば、「パソコンができる」と言っても、差し支えないはずです。
本人も「できる」と思っていますし、わざわざITの資格をとる必要もありません。資格が求められるのは、高度で専門的な職種に限定されます。
もしワード、エクセル、パワポだけでは「『パソコンができる』と認めない」ということになったら、ほとんどの人は「できない人」の枠に入れられてしまいます。考えるまでもなく、これはおかしなことです。
「できる」のを「完璧でない」と言っているだけだから……。これでは、イチャモンをつけているのと同じです。
自分自身がそれなりにうまくやれているのであれば、それは「できる」と言っていいことです。「できている」かどうかを誰かに認めてもらう必要はなく、自分自身が納得すればいいだけのこと。
「できる」のハードルは、それくらい低いものです。少なくとも「完璧にやれる」ところまでハードルを上げてしまえば、おそらく永遠に「できる」ようにはなりません。