2016.7.13.

いいときも悪いときも寄り添う・・・

人生においては、いいときとよくないときの両方があります。いいときに近づいてくるのは、そのほとんどが地位やお金、名声といった背後にあるものを目的としている人です。
そういう人は、ちょっと陰りが見えるようになると、足早に去っていきます。メリットがなくなると、すぐに次のターゲットに移行します。
いいときは素直に喜んでくれて、どん底に落ちたときにも、離れずにいてくれる……。そういう人が、真の友人と呼ぶべき人です。
友人とは、いいときもよくないときも親身になって寄り添ってくれる人です。そんな友人に巡り会えれば、人生はそれだけで素晴らしく充実したものになります。
もっとも、ただ「同じ釜の飯を食った」「幼いころから一緒だった」というだけでは、友人とは呼べません。友人とするには、3つの条件があります。その厳しさをクリアした人だけを友人とすべきです。
1つが、常に成長している。自分自身を高めようと常に努力している人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。成長意欲のない人は、知人にとどめておくべきです。
もう1つが、相手を尊重できる。相手がどんな人であれ、常に敬意を持って接する人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。相手によって態度や行動をコロコロ変えるような人との関係は、深入りしないほうが賢明です。
最後が、自分自身にウソ偽りがない。弱みや欠点も含めて、自分自身のすべてをさらけ出せる人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。必要以上に飾り立てる、あるいは自分自身をよく見せようとする人は、会っても挨拶するだけの関係にとどめるべきです。
この厳しい3つの条件をクリアした人だけが、友人とするにふさわしい人です。これは逆から見ると、あなた自身も厳しさをクリアしなければならないということです。あなたがこの3つを体現しなければ、友人とするにふさわしい人から認めてもらえないのですから……。
あなたの友人は、いいときも悪いときも寄り添ってくれる人ですか。あなた自身もその人のいいときも悪いときも寄り添うことができますか?
(朝の独り言☆)
今日は、診療後にラジオの収録を行いました。 最果ての地で「自分」と出会う100の言葉で絶景として掲載されているハルニレの木の前でPOP用の撮影をしてきました。帰りには、ハルニレの木のある豊頃町長さんへ献本をさせて頂き、大変喜んで下さいました。本当に絶景と偉人の言葉に、勇気をもらえる本です。是非、ご購入してみてください。*写真は、宮口豊頃町長さんと応接室にて。いいときは素直に喜んでくれて、どん底に落ちたときにも、離れずにいてくれる……。そういう人が、真の友人と呼ぶべき人です。
友人とは、いいときもよくないときも親身になって寄り添ってくれる人です。そんな友人に巡り会えれば、人生はそれだけで素晴らしく充実したものになります。
もっとも、ただ「同じ釜の飯を食った」「幼いころから一緒だった」というだけでは、友人とは呼べません。友人とするには、3つの条件があります。その厳しさをクリアした人だけを友人とすべきです。
1つが、常に成長している。自分自身を高めようと常に努力している人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。成長意欲のない人は、知人にとどめておくべきです。
もう1つが、相手を尊重できる。相手がどんな人であれ、常に敬意を持って接する人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。相手によって態度や行動をコロコロ変えるような人との関係は、深入りしないほうが賢明です。
最後が、自分自身にウソ偽りがない。弱みや欠点も含めて、自分自身のすべてをさらけ出せる人でなければ、友人として持つにふさわしくありません。必要以上に飾り立てる、あるいは自分自身をよく見せようとする人は、会っても挨拶するだけの関係にとどめるべきです。
この厳しい3つの条件をクリアした人だけが、友人とするにふさわしい人です。これは逆から見ると、あなた自身も厳しさをクリアしなければならないということです。あなたがこの3つを体現しなければ、友人とするにふさわしい人から認めてもらえないのですから……。
あなたの友人は、いいときも悪いときも寄り添ってくれる人ですか。あなた自身もその人のいいときも悪いときも寄り添うことができますか?
(朝の独り言☆)
今日は、診療後にラジオの収録を行いました。 最果ての地で「自分」と出会う100の言葉で絶景として掲載されているハルニレの木の前でPOP用の撮影をしてきました。帰りには、ハルニレの木のある豊頃町長さんへ献本をさせて頂き、大変喜んで下さいました。本当に絶景と偉人の言葉に、勇気をもらえる本です。是非、ご購入してみてください。*写真は、宮口豊頃町長さんと応接室にて。