失敗というものは、不思議なものです。不本意な結果になったとしても、失敗ととらえる人もいれば、まったくそう思わない人もいます。
たとえば、たった1つの失敗をしただけで、「この世の終わりだ……」と嘆く人がいたりします。
その一方で、まったく同じ失敗をしたとしても、「こんなことは全然大したことはない」と気にしない人もいたりします。
前者が敏感。後者が鈍感……。そういう見方はできますが、それはちょっと皮相的すぎます。
試験に合格できなかった。あと一歩で契約を取れなかった。取引先の役員の機嫌を損ねてしまった……。
それは「失敗」だと見なされがちですが、まったくのあとづけです。そもそもこの世には、失敗などというものはありません。「失敗」という概念があるだけです。
あることがうまくいかなかった……。多くの人は、その事実を失敗だと見なしてしまいます。それは、本人が「失敗だ」と思っただけのことです。
やってみたものの、「うまくいかなかった」という事実はありますが、それを「失敗」ととらえるのは、その人自身です。うまくいかないことを「失敗」と認めてしまうのは、そうとらえた人です。
もしうまくいかなかったとしても、たとえば、「チャレンジ」とか「テスト」「プロセスの1つ」といった、まったく別のものとしてとらえたとしたら、失敗したことにはなりません。失敗したという事実もなくなります。たんにうまくいかなかったという事実があるだけです。
失敗とは、とらえ方によって存在したり、存在しなかったりするものです。
失敗だととらえるから、それは存在します。しかもいつまでも居座り続けます。
反対に、失敗だととらえなければ、最初から存在しません。うまくいかなくても、尾を引きません
そのとらえ方は、人によって変わります。
また同じ人物であっても、そのときどきの状況によって、とらえ方が変わったりします。
どうとらえるかは、まったくの自由です。少なくとも失敗というものは、そうとらえたときに初めで存在するものです。これだけは確実に言えます。
(朝の独り言⭐︎)
今晩は、ノルディック複合ラージヒルがあり、前半渡部暁斗が1位です。カーリング女子🥌も頑張っていますし、目が離せません。
是非、メダルを獲得して欲しいです。