「あなたは、どこへ行っても通用する『武器』を持っていますか?」
ここで言う武器は、矛とか盾のことではありません。
そうした誰かを傷つけかねないものを持ったとしても、「百害あって一利なし」です。
武器になり得るものは、知識やスキル、経験。これらをほかの誰も持ち得ないくらい磨いていくと、立派な武器になります。
それがあれば、どんなときでもあなたを守ってくれます。なおかつあなた自身を活かしてくれます。
知識とかスキルとか経験は、誰もが持ち得るものです。同じ時間だけやれば、本来なら同等の知識・スキル・経験が身につくものです。
これは、あくまでも理論上の話です。同じ100時間やったとしても、そこにやる気や目的の差があれば、当然、習熟度が違ってきます。
目的が明確でやる気満々の人は、ほかの人より早くかつ確実に身につけることができます。
100時間やったとしても、知識・スキル・経験の習熟度が倍以上も違うこともあり得ます。習熟した人とそうでない人とでは、どちらが知識・スキル・経験を武器にできるかと言えば、答えるまでもありません。
習熟した人は、知識・スキル・経験を自分の武器にできます。習熟していない人は、武器にすることはかなわず、せいぜい付け焼刃にするくらいです。
せっかく時間をかけて取り組むのであれば、習熟するくらいになりたいものです。とは言え、いたずらに時間をかければいいわけではありません。
なんのために一生懸命取り組んでいるのかという目的。どんなに大変でもトコトン極めようとするやる気――。
習熟するには、この2つが必要不可欠。もしどちらか1つだけしかなかったとしたら、必要以上に時間がかかったり、中途半端に習熟したりすることが「ない」とは言えません。
知識・スキル・経験を習熟するほど自分のものにすることができたとき――。初めて武器にすることができます。
その武器は、どこへ行っても通用します。どんなときでもあなたの味方になってくれるし、さらに成長させてもくれます。